ライトが設計したプレーリー住宅、エドウィン・チェニー邸の透視図、1904年
(ヴァスムート版『フランク・ロイド・ライト作品集』復刻版 43図)
(レンダリングを得意とした所員の、マリオン・ルーシー・マホニーの腕の冴え)

ライトは オウク・パークに エドウィン・H・チェニー氏の住宅の設計を 1903年に依頼されました。その設計と 工事の監理中に 頻繁に会ったチェニー夫人と、二人は恋に落ちてしまったのです。次第に深い関係となり、1907年には 公然の仲となったようです。メイマ・チェニーは 教養の高い知性的な美人で、また自由思想の持ち主でも あったのでしょう。ライトの妻も メイマの夫も 離婚に同意しないので、不倫のスキャンダルとなり、また その影響で 設計依頼が激減したので、ついに二人は、しばらくアメリカを離れる決心をしました。世にいう「駆け落ち」で、2年にわたって ヨーロッパで生活することになります。
   (「古書の愉しみ」第15回 『 フランク・ロイド・ライト作品集 』より



メイマ・ボースウィック・チェニー (1869-1914)
Mamah Borthwick Cheney, portrait, 1909
( From "Frank Lloyd Wright, The Lost Years 1910-1922"
1993, The Univercity of Chicago Press )
メイマは 1913年に、ライトとともに来日したことがある。