ねんねん」 自由学園・女子部中庭のランタン柱


講堂

自由学園・女子部芝生中庭に面するランタン柱、1934年
回廊の、教室棟入口にある、照明を組み込んだ 大谷石の柱。
「明日館」の各所にあるものを模したもの。


 ところで、この柱のデザインですが、これは 内部に木の柱が立っていて、その周囲を大谷石で囲ったもので、帝国ホテルから明日館が受け継ぎ、遠藤新は 南沢のキャンパスでも多用し、さらに多くの木造の住宅作品でも こうした大谷石の柱を立てています。そこで、次の写真の「門柱」を見てください。似ていると思いませんか?

門

 今は 何代か 住み手が変わって 白ペンキが塗ってありますが、私の子供時代には、もっと荒い大谷石の肌を見せていました。つまり これは、私が大学生の時まで 住んでいた家の門柱なのです。数年前に 近くに行った時に、ふと 懐かしくなって寄ってみたら、門柱が現存していることに驚いて 写真を撮りました。父が ここに土地を買って家を建てたのは、「犬の思い出」に書きましたが、1950年頃です。その時か、あるいは その10年後ぐらいに2階を増築した時に 父が自分で造ったのか(ぼんやり 記憶があります)、あるいは石屋さんに手伝ってもらって造ったのか、玄関前の門柱が、何と 65〜75年も 生き続けてきたのです。
 今 初めて気がついたのですが、自由学園の大谷石の柱型に似ています。もちろん 父はライトなど知りませんでしたし、帝国ホテルも 見たことが無かったかもしれません。それでも、門というのはこういうものだ、という観念に従って これを造ったのだと思います。昭和時代には、こうした大谷石の門柱が 、世の中に普通だったのかもしれません。
 玄関が奥まっていたわけでもない 小さな木造住宅に、門柱など不要だったのですが、父は、門構えのある家に住むのが 夢だったのかもしれません。