GELLERY of WORLD ARCHITECTURE
シカゴ (アメリカ)
ユニティ・テンプル

神谷武夫
ライトのユニティ・テンプル内部
ユニティ・テンプルの聖堂内部

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ユニテリアン教会

 キリスト教は ヨーロッパから北米大陸にもたらされたが、自由の新天地 アメリカには、カトリックよりも プロテスタントのほうが似合っていたと言える。 中でも理性を尊重したユニテリアン派は その代表的存在である。 合理主義と人道主義に根ざしたユニテリアンは、公民権運動を発展させ、反戦平和をも唱えた。 日本には明治時代に福沢諭吉らによって紹介されたものの、大きくは根付かなかったようである。
 ユニテリアンというのは、トリニテリアン (神と聖霊とキリストが三位一体であるとする トリニティ説をかかげるカトリック正統派) に対して、神のユニティ (単一性) と キリストのユニティとは別物だとして、神にのみ神性を認め、キリストの神性を否定する立場である。
 そうした主張は中世から異端としてあったが、公然と独立教会を発展させたのは、18、19世紀における イギリスとアメリカのプロテスタントだった。 彼らは人間の原罪説を否定し、個人の意志や能力による向上を重視したので、近代の自由主義社会にも合致したと言える。


ユニティ・テンプルの平面図
( from "Unity Temple" by Robert McCarter, Phaidon, 1997 )


新しい聖堂建築

 ところが、そうした近代性をもっていたにもかかわらず、19世紀に建てられていたユニテリアン教会は、建築的にはカトリックの聖堂と大差なく、ラテン十字のプランの上に ゴチック様式や ニューイングランドのコロニアル様式で建てられていた。
 これに対して、初めてユニテリアン教会にふさわしい 新しい聖堂建築を呈示したのは、アメリカが生んだ最大の建築家、フランク・ロイド・ライトである。 後に日本に帝国ホテルを設計することになるライトは、20世紀初頭、まだ 30代の若さであったが、シカゴ郊外のオークパークに ユニティ・テンプルを実現した。
 ここの木造の旧聖堂が 1905年に落雷で焼失してしまったので建て直すことになった時、このすぐ近くに住居とアトリエをもち、1892年以来この教会のメンバーでもあったライトに 設計が委嘱されたのだった。 しかもライトは、父がユニテリアンの牧師であり、ウェールズからアメリカに移民した母方の祖父は アメリカにおける初期ユニテリアン運動の指導者であった。


ユニティ・テンプルと ユニティ・ハウス

 そうした環境で 自由宗教と会衆主義、個人の尊重の気風を身につけていたライトは、ここに全く新しいプランと美学の聖堂を創りだし、1908年に完成させた。 新しい聖堂には、それまでの教会堂におけるような、いかなる尖塔もないばかりか、ゴチックもロマネスクもバロックも、過去の西洋の いかなる建築様式も模倣せず、打ち放しコンクリートの キュービックなマッスで作ったのである。 屋根はフラットで、壁にはほとんど装飾のない、先駆的な 「近代建築」 としての聖堂であった。
 しかし中に入ると、そこにはライト独特の幾何学的な装飾がほどこされ、ガラス屋根の下に はめられたステンドグラスから落ちる光に満ち、まことに美しいインテリアとなっている


テンプル (神殿)

 キリストの神性を否定する聖堂において、礼拝する対象は神ひとりなのであるから、それは古代の神殿 (テンプル) のようであるべきだとして、ライトは この建物をチャーチではなく、テンプルと呼ばせた。 伝統的なチャーチがシンボルとした十字架が、この聖堂では 外部にも内部にもまったく掲げられなかったことも、それを示している。
 これは小規模ではあるが、ひとりの建築家の個性のもとにつくられた 偉大な神殿であり、これ以後、聖堂建築が古い様式にしばられずに 近代的なデザインで建てられることに道を開いた、記念碑的な宗教建築なのである。

   
ユニティ・ハウスの天井と照明器具

 1893年のシカゴ万国博覧会で 日本館としての平等院鳳凰堂に天啓を受けたライトは、以来 日本文化に傾倒し、1905年 (明治 38年) に初めて来日して、各地の建築や美術を見てまわった。 ユニティ・テンプルの設計を始めたのは、その帰国の 1ヵ月後であった。 ユニティ・テンプルのプランは、日光東照宮の拝殿+本殿のプランとよく似ていることが指摘されているが、さまざまな形で、日本文化の影響がこの聖堂にはもたらされているようである。


日光東照宮、日光大猷殿、ユニティ・テンプルの平面比較
( from "Unity Temple" by Robert McCarter, Phaidon, 1997 )

 後につくった 帝国ホテルの中の小劇場は、私の学生時代に取り壊されてしまって今はないが、スケールも空間の雰囲気も この聖堂と実によく似ていた。 自由な発想による 理性的な会衆聖堂というのは、劇場やコンサート・ホールに似てくるものかもしれない。 建設後 100年になるこのユニティ・テンプルは、聖堂として用いられているのはもちろんだが、近年は コンサートに利用されることも多いのだという。

(2005年 9月 「中外日報」)

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