『 アンコールの神々 BAYON 』 神谷武夫
今はアジア・ブームだという。それが建築界にもおしよせてきた。10年前にはアジアの建築の本など、出版社から見向きもされなかった。それがここ数年は続々とアジアの建築の本が出版されて、驚きでもあれば 喜ばしくもある。そのおかげで筆者も何冊かインド建築関係の本を出版させてもらったが、東南アジアの建築の研究に精力的に取り組んでこられた先駆者、千原大五郎氏の訃報に昨年接したのは残念なことであった。
カンボジアのアンコール・ワットといえば誰知らぬものはなく、我が国でもすでに10冊以上の本が出版され、テレビ番組でも何度も採り上げられた。けれどもクメール王朝の建築遺跡はアンコール・ワットだけではない。9世紀末に王国の首都となったアンコールは、わずかずつ中心点をずらしながら15世紀初めまで栄えた都であり、多くの寺院や宮殿、その他の施設が建設された。「大きな都市」を意味するアンコール・トムはアンコール・ワットの大寺院の北側にあり、一辺が3kmのほぼ正方形をした周壁で囲まれている。その中心にそびえるのが、12世紀末から13世紀初頭にかけて造営されたバイヨンの大寺院である。
この大寺院が全面的に紹介されずに、その100年近く前に造営されたアンコール・ワットにばかり脚光が与えられてきたのにはわけがある。明快な形式と晴朗な造形によって古典的な美の極点を現前させたアンコール・ワットに比べて、バイヨンの寺院はもっと複雑怪奇で「歪んだ美」とでもいうべき存在であるからだ。ルネサンスに対するバロックとでも言ったらいいだろうか。建設途中におけるプランの変更や拡大といい、林立する塔の四面に観音菩薩であるのかシヴァ神であるのか、あるいは神格化した王(デーヴァラージャ)であるのか、本書の英語の表題にある「神秘的な微笑」を浮かべた顔面彫刻といい、ここには謎に包まれた過剰さがある。 調査と修復の結果はいずれ学問的な報告書として出版されることであろうが、まずは一般向けの写真集として編まれ、刊行された。それでも解説文はすべて和英併記である。今まで我が国では、アジアの建築を知るためには欧米の書物に頼らざるをえないという倒錯的な状態にあった。しかし近年のアジア建築研究の蓄積によって、いよいよ日本から世界に向けてアジアの建築を紹介し、情報を発信するようになりつつある。将来は、アジアの建築を知るにはまず日本の書物を参照するという時代が来ることだろう。そうなるようにするのが、アジアの経済大国である日本の義務でもある。今まで主にヨーロッパやアメリカの建築に目を向けてきた建築家諸兄も、ぜひ本書を手にとってアジア建築の息吹きに触れてもらいたいと思う。 (1998年1月)
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