ENJOIMENT in ANTIQUE BOOKS - XXXIX
ガリマール出版社
『 プレイヤード叢書』
NRF
"BIBLIOTHÈQUE de la PLÉIADE"
Éditions Gallimard


神谷武夫

プレイヤード叢書
『 プレイヤード叢書 』 左から「サン・テグジュペリ作品集」、
「ヴァレリー作品集 I, II」、プルーストの「失われた時を求めて I」

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 この「古書の愉しみ」のサイトは、私の蔵書の中から ある一冊の本を選んで、その内容と造本、装幀、図版などについて、関連書籍を交えながら紹介するのを基本としていますが、時には「本のシリーズ」を採りあげます。第29回から32回では、ロマネスク美術の『ラ・ニュイ・デ・タン叢書』全88巻を紹介しました。全88巻といっても、それは初めから88冊を刊行する予定だったわけではなく、当初はフランスのロマネスク美術を地方ごとに編んでゆき、次第にその範囲がヨーロッパ全体に拡大されたので、完結の暁には100巻ぐらいになるだろうと思われたものが、創刊から50年でゾディアック出版所が活動を終了させたために、88巻でストップしたものです。

 シリーズの企画の初めから 全巻構想ができていて、順次 定期的に出版していくようなものは「全集」と呼ばれることが多いですが、ある共通テーマのもとに、1冊ずつ企画・制作しては 不定期に出していくものは「叢書」と呼ばれます。それを英語で「シリーズ」とか「ライブラリー」と言うように、フランス語でも 図書館を意味する「ビブリオテック」と名づけられることが多いようです。

 『ラ・ニュイ・デ・タン叢書』と並んで 私の最も好きな叢書は、やはりフランスの "BIBLIOTHÈQUE DE LA PLÉIADE" (ビブリオテック・ド・ラ・プレイヤード)で、「プレイヤード叢書」とか「プレイヤード版」と訳されます。『ラ・ニュイ・デ・タン叢書』は そのほとんどの巻が私の書棚にありますが、『プレイヤード叢書』の方は、このページの冒頭の写真にある わずか4冊にすぎません。また、このサイトの主題とする「古書」とも言いがたい(私の所有するのは半世紀以上前に発行されたものであっても、いずれも改訂版が増刷され続けていますから)。にもかかわらず、この叢書を採りあげるのは、「愛書家」として この叢書の造本や装幀に非常に惚れこんでいるからに ほかなりません。

     
『プレイヤ-ド叢書』の 2015年度カタログ(205pp.)の表紙と、
「プレイヤード友の会」(Le Cercle de la Pléiade)の案内(裏が申込書)


 これはごく有名な叢書ですから、今から 86年前の 1931年にプレイヤード出版社という小さな出版社が創刊し、その3年後にガリマール出版社が引き継いで、現在までの刊行点数は 600点を超えていて、フランスの文学や思想に親しい方、あるいは大学でフランス文学を専攻した方なら よく知っているでしょうし、その数巻を所蔵しているかもしれません。しかし このサイトでは、まだ『プレイヤード叢書』を手にしたことのない人たちのために、その造本・意匠を伝えようと思います。つまり、造本を主眼とする入門編です。

 この叢書の第1の特色は、その「容量」です。本文用紙に辞典用の(腰が強くて 裏に透けない 極薄の)印刷紙を用いているので、各巻 1,000〜2,000ページもあり、やや小さめの活字を使っているので、普通の小説本の 5〜6冊分が1巻に入ってしまいます。本のページの大きさは 日本の新書判と同じなので、厚さはあるものの、小型本と言ってよいでしょう。一人の文学者の全集が 1〜3冊の小型本に収まってしまうというのは、狭い家に住む 文学好きの日本人にとっては、夢のような話です。
 たとえば、私の好きな 埴谷雄高は、その生前に高橋和巳らが編集した『埴谷雄高作品集』全6巻+別巻1(1971 河出書房新社)が私の書架にあります。これは「選集」です。で、彼の 没後に講談社から完全な「全集」が出た時、買いたいのは やまやまでしたが、A5判で全19巻+別巻、横一列に並べると1メートルを超える本を置く書棚のスペースは ありません。これが 小型本 3〜4冊に収まっていたら どんなに良いことか。ためらうことなく買ったと思います。

 第2の特色は、本の造本・装幀の 高雅さです。羊の革装(フル・レザー)で、背には金線の密なストライプと、金文字のタイトルが箔押しされている。それ以外に 余分なもの、けばけばしいものが一切なく、焦げ茶色のしなやかな革表紙は しっくりと手になじみます。
 欠点は、値段の高いことと、どの巻も同じ装幀なので、全ての著作家が均一に見えすぎてしまうことでしょうか。




PAUL VALÉRY

OEUVRES, I, II
1957, 1960, Éditions Gallimard

『 プレイヤード叢書 』 ポール・ヴァレリー作品集 I, II


    

『 プレイヤード叢書 』の 『ポール・ヴァレリー作品集』上巻と下巻の表ジャケット
全集と銘打ってないのは、この他に「カイエ(手帖、手記)」2巻があるから。


       

『ポール・ヴァレリー作品集』上巻と下巻の背表紙と裏ジャケット
上巻は 1,851ページ、下巻は 1,704ページもある。厚さは 4.3cmと 3.9cm
裏ジャケットには叢書の既刊書目から20世紀のものを選択掲載


外装の構成: 裏ジャケット + 革装の本体 + 表ジャケット + 透明ジャケット
こうした複雑な構成は、プレイヤード叢書以外に見たことがない。
更に これが店頭保護用のソフトな無地の白い函(昔は紙製、近年はプラスチック)に
入っていたが、私は 出し入れが わずらわしいので、捨てるか、他の用途に使っている。
これらのジャケットも捨てて、本来の革装だけの本として 架蔵する人もいるだろう。


『ヴァレリー作品集』の上巻 1957年 より、詩編 「若きパルク」の冒頭。

いまし時、あそこで 誰が泣いているのか、それとも あだ風のそよぎか、
ただ独り、こよなき宝玉を抱いて・・・けれども 誰が泣いているのか、
涙ぐむ折の私に かくも間近かに在って、

私の顔に触れんと ゆめみて、和やかに置かれたこの手は、
ひめやかに なにものか 深みの果てに、
私の弱さゆえ、ひとしずくの涙の ほろり落ちるのを待っている。
そうして私の さまざまな運命から徐々に分れでて、
そのいとも純粋なものが 黙って破れた心に 光を与えてくれるのを待っている。
            (高田博厚 訳 『薔薇窓』1969 美術出版社より)


『ヴァレリー作品集』の下巻 1960年 より、対話篇 「建築家・エウパリノス」
ソクラテスとフェードル(パイドロス)の対話篇の冒頭

パイドロス
ーー エウパリノスは、ひときわ明瞭な、一段と優しい友情をこめて私を見ました。
「言ってくれたまえ(君は建築の効果にじつに敏感なのだから)、君はこの町を散歩するとき、町にむらがる建物のなかで、或るものは 黙し、或るものは 語り、また或るものは、これが一ばん稀なのだが、歌う ということに気付きはしなかったか。建物をこれほどまでに躍動させ、または沈黙させるものは、建物の用途でもなく、その全貌でもない。それは建築家の才能か、或いはミューズたちの恩寵に由来するのだ。」
            (伊吹武彦 訳 『エウパリノス』1954 人文書院より)


大修館書店の 革装『 スタンダ-ド和仏辞典』と「ヴァレリー作品集 I 」との比較
どちらも革装で、大きさも厚さも ほとんど全く同じだが (17.5 x 11 x 4.5cm)、
「和仏辞典」の 1,391ページに対して 「ヴァレリー I 」は 1,851ページもある。
辞典よりも薄い紙に印刷しているわけで、いかに大容量であるかが わかる。
(もっとも、同じ大修館の「仏和辞典」の方は、もう少し厚手で 1,980ページもあるが)
こうした強度のある薄い印刷紙を、日本では「辞典用の紙」と言うが、
英語では「Bible paper 聖書用の紙」あるいは「India paper インディア紙」と呼ぶ。


プレイヤード版の「ヴァレリー作品集」上下2巻を翻訳したのが、筑摩書房刊の
『ヴァレリー全集』全12巻+補遺2 (1967-68 ) である。(ウェブサイトより)
しかも本の大きさは プレイヤード版の約2倍もあるので、とても書架のスペースがない。




 第3の(第1の と言うべきかもしれませんが)特色は、その内容の信頼性にあります。その道の第一人者と言われる学者、研究者によって校訂され、すさまじい程の「註」の充実、文献の豊富さ等によって、フランス文学について研究や翻訳をする人は 必ず プレイヤード版に基づいた旨を、冒頭か末尾に記します。

 もし私がフランス語をスラスラ読めたなら、この叢書をたくさん買いそろえたことでしょう。しかしヴァレリーもプルーストも 読むに むずかしく、しかも これ程のページ数のある本を これ以上買う気にはなれず、架蔵するのは この4冊だけで十分なのでした。
 まあ、たいして読めもしない洋書を所有するのは「見栄」、と言っても 人に見せるわけでもないので、虚栄心の自己満足、評論家的に言えば「知的スノビズム」というところでしょうか。それでも、たまに手に取ってパラパラめくったり、辞書を引き引き 数ページを読んだりするのは「心を豊かに」してくれますし、訳書を読んでいるときに 原文を参照する役にもたちます。

 『プレイヤード叢書』は『ラ・ニュイ・デ・タン叢書』と同じように、当初はフランス文学(あるいは フランス語による文学)のみを扱っていましたが、次第に外国文学も翻訳で出すようになったので(アジアまで範囲を広げて)、これは「世界文学全集」ということもできます。しかし 初めから著作家の人選ができていたわけではなく、一冊ずつ企画を立てては刊行してきたものです。重要な文学者は全集となっているので、この叢書は「全集の全集」であるとも言えます。
 近・現代の著作家の全集や 全集に近い作品集が出るのは 基本的に その没後ですから、生前に作品集が刊行されたのは、ほんの数人です。たとえばミラン・クンデラは まだ存命中(88歳)ですが、6年前の 2011年に2巻本の作品集が出版されました。

 日本人ではただ一人、谷崎潤一郎(1886-1965)の作品集が、没後に全2巻で出ていますが、ノーベル文学賞を受賞した川端康成(1899-1972)と大江健三郎(1935- )は出ていません。フランス語には十分に翻訳されていないということでしょうか。もっとも大江さんはまだ存命中ですから、没後に出版されるのではないかと思います。多くの作品が翻訳されている村上春樹(1949- )は、ノーベル賞を受賞するかどうかに関わらず、没後に作品集が出ることでしょう、残念ながら 三島由紀夫(1925-70)は出ませんでしたが。




MARCEL PROUST

À LA RECHERCHE DU TEMPS PERDU, I
1954, Éditions Gallimard

『 プレイヤード叢書 』 マルセル・プルースト『失われた時を求めて I 』


『 プレイヤード叢書 』の マルセル・プルースト『失われた時を求めて I 』1954
ハードカバーといっても、あまり厚表紙ではないのも「 辞典」に近い印象。
この巻は 1,003ページの厚さなので、『 プレイヤード叢書 』としては
やや薄手に感じられる(1987年の改訂版では、2倍近くの厚さとなるが)


この白い紙(表ジャケット)を二つに折って、表紙を挟んで かぶせる(裏ジャケットも)
その上に透明ジャケットを かぶせるので、ずり落ちることがない。
紙ジャケットを前後に分けるのは、豪華な革の背表紙を隠さないため。


マルセル・プルースト 『失われた時を求めて I 』 の扉
扉のページには、赤と黒の活字を組み合わせるのが、ヨーロッパの造本の伝統。
扉も本文用紙と同じ紙なので、より目立たせるためである。
(日本では 別の紙質・色の紙を、綴じ合わせるのではなく、ノドに貼り付けることが多い)


『失われた時を求めて I 』の 第1篇「スワン家のほうへ」、
第1部「コンブレー」の最初のページ
この巻に、第2部の「花咲く乙女たちのかげに」までを収録(日本の文庫本の4冊分)

この最初のページに、ピリオドは4つしかない。時には、1ページに1つしかないこともある。プルーストの文章は あまりに長いので、またフランス語では名詞を繰り返さずに代名詞にするので、しかも 全ての「物」が男性か女性になるので、たくさんの代名詞(彼、彼女)の どれが何を指しているのか さっぱりとわからなくなることがあり、読むのがたいへん難しい。

 



 さて、それほどまでに一冊あたりの容量を大きくしたのでは、文字が小さすぎて 読みにくいのではないか と思うことでしょう。しかし そうでもないのは、適度なクリーム色の紙、読みやすい書体(ガラモント体)、文字の大きさ、行間のプロポーション、などが徹底的に研究され、改良が重ねられて 読みやすいレイアウトとなっているからでしょう。
 「古典」とみなされる文学、思想の集成という意味では、この叢書は 日本の岩波文庫に相当します(造本と値段には、両者に雲泥の差がありますが)。岩波文庫は老人向けに、ごく有名なもののみ「大活字本」を作りましたが、どの出版社の文庫本も 今では かなり大きな活字を用いるようになったので、私の若き日の文庫本とは大違いです。当時は 本を買う金にも窮していましたから、小活字がギューギューに詰まった文庫本を歓迎していたものですが、今では 昔の文庫本を読むのは 少々骨が折れます。『プレイヤード叢書』は できるだけ活字を小さくしながらも、読みやすい ギリギリの線を追求した書物と言えます。

 その点において、ひとつ重要な彼我の違いがあります。それは、プレイヤード版の本文(フランス語)が横書きだということです。本の大きさが日本の新書判と同じと言いましたが、もしも新書に 小さい活字を使って縦書きで収めたら、一行の長さが長すぎて、読みにくいこと この上なくなってしまうし、次の行の頭を見つけるのにも苦労します。しかし横書きであれば、新書判は 一行の長さが ちょうど良くなり、読みやすいのです。また それが詩人の作品集の場合だったら、縦書きの新書判は 下半分がすべて真っ白に なってしまうでしょう。ところがプレイヤード版の場合は、詩集であっても 一行の長さが ちょうど読みやすく きれいに収まって、しかも 無駄がありません。

 本というのは、版面の見た目の美しさも 大切です。岩波書店は かつて新書判の『夏目漱石全集』や『石川淳選集』を出していたことがあります。これは 手に持ちやすくて良いのですが、内容を詰め込んで一行の長さが長すぎてしまわないように、必然的に 二段組となりました。しかし これは あまり美しくないのです。特に詩集の場合だったら、二段組の詩集など 読む気になれません。プレイヤード叢書は 横書きのフランス語であることによって、詩と小説が共存しているような巻においても、美しく 読みやすく納まっているのです。

 私も架蔵している 新書版『石川淳選集』は、辞典用の紙ではないので 大容量とはならず、全19巻にもなってしまいました(漱石全集にいたっては、何と35巻です!)どうして日本では辞典用の紙を使った『プレイヤード叢書』のような本を出さないのだろうか と思うのですが、思いめぐらせてみると、その昔、それに近い「世界文学全集」を意図した出版社があったような気がします(トルストイの『戦争と平和』が、プレイヤード版と同じように1巻に収まってしまうような)。しかし出版社の名も思い出せないし、それが成功したような記憶もないので、日本の読者の好みにあわず、あまり売れなかったのかもしれません(ブックデザインが良くなかったのかも)。

 現今の趨勢を見ると、活字本は皆 ネット出版になってしまいそうなので、もしかすると『プレイヤード叢書』も、今に滅びの道をたどるのかもしれません。先日、十数年ぶりに日本橋の丸善に寄ったら、もう洋書のフランス文学のコーナーなどありません。そこで 丸の内の 丸善 本店に行ってみたら、コーナーはありましたが、『プレイヤード叢書』は一冊も置いてありませんでした。昔の日本橋丸善には、いつも『プレイヤード叢書』が棚の一段分 ずらりと並んでいたのが、夢か幻のように思い出されます。


 『プレイヤード叢書』を出版しているのは「ガリマール出版社」と言いますが、その名は 社主で創業者の ガストン・ガリマール(1881−1975)に由来します。ガストンの、出版者としての活動歴と、それと同じほどのフランス近代の出版状況の叙述があって、近代フランスの文学や思想に興味がある人には 実に面白い『ガストン・ガリマール』という本があります。副題は「フランス出版の半世紀」というもので、ピエール・アスリーヌというジャーナリストが書き、天野恒雄の名訳で10年前にみすず書房から邦訳出版されました。その本にもとづいて、『プレイヤード叢書』の簡単な歴史をたどると、

 そもそも、旅行にも持っていけるようなハンディな本でありながら、薄い印刷用紙にぎっしりと内容がつまっていて、しかも優美で豪華な装幀と造本の文学書のシリーズを作りたい、と考えたのは、アゼルバイジャンのバクーに生まれた、編集者にして愛書家であったジャック・シフラン(1892−1950)というユダヤ人でした。ロシアとスイスで学んで法学の博士号をとったあと パリに定住し、いくつかの仕事の後に「プレイヤード出版社」を興して、主にロシア系の文学書や美術書を出版しました。
 この「プレイヤード」というのは、ギリシア神話におけるアトラス神の7人の娘(プレアデスの七姉妹)のフランス語で、彼女らはオーリオーンの誘惑から逃れるために星座になったので、「プレイアデス星座」と呼ばれます(和名は「すばる」)。作曲家の吉松隆が『プレイアデス舞曲集』という7曲ずつの5つのピアノ曲集を書いていて、田部京子の演奏がCDになっているので、聴かれた方も多いことでしょう。

 けれどもシフランが『プレイヤード叢書』と名づけたのは ギリシア神話からではなく、また 16世紀フランスの「プレイヤード詩人」たちからでもなく、ロシア語の「プレイアダ」(友人のグループの意)からだと言います。シフランは 1931年の『ボードレール詩集』を皮切りに、夢想していた『プレイヤード叢書』を 現実のものにしていきました。その企画は当たったのですが、資金が続かずに 立ち往生します。その企画を買いとって発展させたのが、ガリマール出版社でした。

 この出版社、もともとは 若い6人の文学者グループが 1908年に同人誌を出して、『新フランス評論』と題したのが始まりです。英語では 雑誌は「MAGAZINE マガジン」 と呼ぶのが一般的ですが、同じ綴りのフランス語の「MAGAZINE マガジーヌ」は グラビア誌 を指し、文章主体の雑誌は「REVUE ルヴュ」と言うので、『新フランス評論』は「LA NOUVELLE REVUE FRANCAISE ラ・ヌヴェル・ルヴュ・フランセーズ」で、その頭文字で略して「 NRF(エヌ・エル・エフ)」と称します。これが 以後のすベての活動の代名詞となりました。その中心人物は、当時 30代後半で最年長者だったアンドレ・ジイド(1869−1951)です。

    

『 NRF 』(La Nouvelle Revue Française 新フランス評論)の創刊号, 1908年 の
表紙 (From "Un Siècle nrf " 2000, Gallimard) と、マルセル・プル-スト
追悼号, 1923 の表紙(『ガストン・ガリマ-ル』1986年、みすず書房 より
NRF(エヌ・エル・エフ)の ロゴ 「 nrf 」は 創刊号には 無いが、まもなく同人の一人、
ジャン・シュランベルジュによって作られ、以後『新フランス評論』誌 ばかりでなく、
ガリマール書店、のちのガリマール出版社の 全ての書籍の表紙に刻印されている。


 現在にまで続く「NRF」は フランスの最新の純文学・評論雑誌として高い評価を受けたので、彼らはこの雑誌ばかりでなく、書籍の出版も もくろむようになります。そこで、1911年に資金を出して出版部門を担当したのが、裕福な家の高等遊民の息子、ガストン・ガリマールでした。1919年には LIBRAIRIE GALLIMARD(ガリマール書店)を設立、1961年には ÉDITIONS GALLIMARD(ガリマール出版社)となって、文芸を中心とする フランス随一の総合出版社となります。日本で言えば、岩波書店と新潮社を合わせたような出版社です。
 当時のフランスでは、文学者、著作家たちは、かつての最盛期の日本の映画界における 監督や俳優と映画会社の関係のように、出版社と専属契約を結ぶのが 習慣でした。ガストン・ガリマールの鋭敏な文学的価値の判断力と、疲れを知らぬ活動・術策によって、20世紀のフランスを代表する大半の文学者、思想家をガリマール出版社の専属にし、彼らの新刊を出版し、さまざまな文学賞をとらせ、自身は本を書かないにもかかわらず、
「フランス文学、それは私だ」
と自負するまでになりました。なかでも『プレイヤード叢書』は 海外、とりわけアメリカや日本では評価が高く、フランスを代表する出版物になった と言っても過言ではありません。

アルバム編の一冊として出版された 函入り本『 NRF の一世紀』1991

 ガリマール出版社が『プレイヤード叢書』を開始したのは1933年で、シフランは ガリマール出版社の『プレイヤード叢書』担当部長となって、それまでの活動を継続することができました。最大の貢献者は シフランの友人だったジイドで、ガストンを説得して『プレイヤード叢書』を受け継がせたのです。そればかりでなく、ジイドは常にガリマール出版社に対して、隠然たる影響力を行使しました。




ANTOINE DE SAINT-EXUPÉRY

OEUVRES
1959, Éditions Gallimard

『 プレイヤード叢書 』 アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ作品集


『 プレイヤード叢書』の『アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ作品集』
古い1巻本 1959年 の、羊革の背表紙の上部
OEUVRE(ウーヴル)は英語の WORK で「作品」の意、複数形の OEUVRES は「作品集」、
全集の場合は OEUVRES COMPLÈTES(ウーヴル・コンプレート)という。
サン・テグジュペリの巻は、1994年の改訂版で2巻本の「全集」となる。
1巻本の『アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ作品集』は『 プレイヤード叢書』の歴史の中で
最もよく売れた巻で、定価の高さにもかかわらず、34万部も出たという。
実は 上記のプルースト『失われた時を求めて』I (1954年版)が第2位で、25万部の
売り上げというから、私は 平均的フランス人のように『 プレイヤード叢書』を
買っていたことになる(ヴァレリーの巻がどのくらい売れたのかは不明だが)


『 プレイヤード叢書』の『サン・テグジュペリ作品集』、「小さな王子」の扉
題名は「ル・プチ・プランス」(英語版は "The Little Prince")で、「小さな王子」の意なのに、
いったい誰が「星の王子さま」などという、歯の浮くような 少女趣味の邦題にしたのだろうか。
文庫本の翻訳書では、野崎歓 訳(光文社古典新訳文庫)のみが「ちいさな王子」で、
あとは 岩波書店をはじめ、すべて「星の王子さま」という有様である!
戦後の日本人の幼児化を 象徴しているかのよう。


『 プレイヤード叢書』の『サン・テグジュペリ作品集』、「小さな王子」
行間隔を通常よりも広くして、比較的ゆったりと配している。

 岩波書店は『オリジナル版 星の王子さま』というのを 2000年に出版しています。最初のアメリカ版と同じ大きさ、体裁で、文章だけを日本語にしたというわけです。これがプレイヤード版とほとんど全く同じ大きさですから、オリジナルのアメリカ版が『 プレイヤード叢書』と同じ大きさ、つまり日本の新書サイズだったということです。岩波版には、テキストとイラストレーションの版権がガリマール出版社にあると書かれていますから、『 プレイヤード叢書』の版元であるガリマール出版社から図版の原画を借りたか、あるいはガリマールが出版していた "Le Petit Prince" から複写したのでしょう。
 ところがプレイヤード版と見比べてみると、絵のタッチが(特に彩色の筆使いが)異なります。岩波では これを基にして本文を縦組みにした「愛蔵版」も出していますので、これと見比べると、サイズが大きいだけに、違いは瞭然としています。色が どぎつくなっているのは印刷の加減もあるわけですが、彩色の筆のタッチ その他、プレイヤード版のほうが はるかによいできばえで、こちらの方が オリジナルのアメリカ版に近いのでしょう。おそらく岩波では ガリマール版の挿絵を下敷きにして、それを なぞって描き直したのではないでしょうか、印刷の鮮明度を高めるために。しかし黒い線は ある程度なぞれても、絵筆のタッチまでは むずかしい。サン・テグジュペリによる原画の趣が だいぶ失われているように感じられます
 プレイヤード版が きれいに見えるのは、紙が真っ白ではなく、淡いクリーム色であることも 良い方向にはたらいています。こうしたことから言っても、プレイヤード版の『サン・テグジュペリ作品集』は、とても良い本だと言えます。大いに売れたのも当然でしょう。




 前述のように、錚々たる著作家を抱えていたガリマール出版社は、『プレイヤード叢書』を 以後 80年にわたって続けていくのに、まさに理想的出版社であったわけです。ジイドの作品集2巻や 日記2巻も そうなら、プルーストの『失われた時を求めて』全4巻も、ヴァレリーの作品集2巻や『カイエ』2巻も、マルローの全集6巻も、カミュの全集4巻も、サルトルの作品集や戯曲集も、レヴィ・ストロースの作品集も、皆 『プレイヤード叢書』から出版されたのです。

 『プレイヤード叢書』を創始した シフランは ユダヤ人だったので、パリがナチス・ドイツに支配された 1940年に、「反ユダヤ法」によってガリマール出版社を解雇され、アメリカに亡命して、1965年に ニューヨークで死去したそうです。




 ところで『プレイヤード叢書』には、読む分量の少ない「アルバム」のシリーズもあります。日本でも 新潮社などが 写真図版中心の「作家アルバム」のようなシリーズを出していたものですが、そのフランス版と思えばよろしい。その造本・装幀は『プレイヤード叢書』と全く同じです。けれども用紙は 辞典用の薄紙ではなく、『ラ・ニュイ・デ・タン叢書』の時に述べた エリオ・グラヴュール印刷に適した、やや厚手の用紙を使っています。したがって ページ数はあまり多くなく、300ページ前後となっています。



『 プレイヤード叢書 』のアルバム編

Albums de la Pléiade


『 プレイヤード叢書』のアルバム編、私の架蔵する12冊
右端は「アルバム・カミュ」1982 と「アルバム・ルソー」1976
全部 透明のジャケットが かかっているので、光っている。
アルバムの背表紙のタイトル部分は茶色(20世紀の文学者の作品集は緑色)


『 プレイヤード叢書』の「アルバム・モーパッサン」1987
ひと頃は 前後分割のジャケットをやめて、外函に印刷をしていた。
こうなると 函も捨てにくいが、背表紙にタイトルがないので、使用勝手は悪い。


 この『プレイヤード叢書』のアルバム・シリーズは、1962年にバルザックで始まり、年に一冊ずつ 出し続けているので、今までに 55冊が出版されました。基本的にはフランスの文学者を扱っていますが、たまに外国人もいます。変わり種は『アルバム・千一夜物語』ですが、なぜか ヴァレリーの巻は まだ出ていません。

 奇妙なことに、これらのアルバムは市販されていません。『プレイヤード叢書』を3冊買った人、あるいは 誰かの複数巻から成る全集を買った人に 無料でプレゼントする、というシステムなのです。フランスの書店で見つけても 買えずに 残念な思いをしたことがあります。ところが日本橋の丸善は『プレイヤード叢書』を たくさん輸入していたので、それに応じた冊数のアルバムが送られてきて、丸善では それらに適当な(手頃な)値段をつけて『プレイヤード叢書』の棚に並べていました。

『 プレイヤード叢書』の「アルバム・ヴェルレーヌ」1981 の扉
何故か アルバムの扉では、どの巻も赤い字を用いていない。


『 プレイヤード叢書』の「アルバム・ルソー」1976
エリオ・グラヴュールによる、深みのある写真印刷。


『 プレイヤード叢書』の「アルバム・サルトル」1991
「アルバム・ルソー」との、印刷方式の違いが わかるだろうか。

 これならば 読む分量が少ない ヴィジュアルな本だし、あまり高くもない値段なので、見つけると 喜んで買っていました。それが 12冊、私の書棚に並んでいます。
 ただ、『ラ・ニュイ・デ・タン叢書』に書いたように、エリオ・グラヴュール印刷をやれる印刷所が なくなってしまったので、『アルバム・サルトル』(1991)など 近年発行のものは、普通の印刷方式になってしまいました。

(2017/07/01)


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