岡倉家の墓所

(東京、巣鴨の染井霊園内)

岡倉天心の墓
岡倉家の墓所、手前が覚三の墓、
向こうの宝塔が父母の墓(父の逝去時に 覚三が建てたという)
都心の閑静な墓地で、春は(染井吉野の)桜の名所としても名高い。


岡倉天心の墓

道教風の、岡倉覚三の墓。その形は早崎梗吉のデザインという。
(本当に道教風なのかどうかは不明だが)
本来は上の土の部分に草が植えられて、土饅頭風になっていた。
右にあるのは、孫で国際政治学者の岡倉古四郎が 1994年に建てた「永久の平和」碑


岡倉天心の墓
岡倉覚三の墓の碑銘は「釈天心」。戒名というよりは(浄土真宗の)法名であろう。
この碑銘の文字は、誰の揮毫なのだろうか。


岡倉天心の墓
岡倉覚三の父母の墓の碑銘
右から、父(釈正覺信士)明治 丙申7月9日(1896)没年77歳
母・この(釈孝了信女)明治 庚午年4月3日(1870)没
後妻・静(釈縁静信女)明治32年(1899)1月9日没
父の没年は 明治丙申 とのみ書いてあるが、明治の丙申年は29年(1896)。
同じく母の庚午は 明治3年(1870)。
これらは皆 浄土真宗式の「釈+○○」という名であるが、
信士や信女という位号が加えられているので、
死後につけられた法名(戒名)であろう。よく見ると 父の俗名として
「福井藩士 岡倉勘右衛門」と刻んである。どうやら『岡倉天心アルバム』の、
父は覚右衛門、祖父が勘右衛門とする記述のほうが 誤りらしい。