パンフレット『帝国ホテル、永久保存のために』の 表紙
東京芸術大学「帝国ホテルを守る会」編 1967年7月、B6横判、16ページ




オルギヴァンナ・ロイド・ライト
Olgivannna Lloyd Wright (1898-1985)
( From website "Gurdjieff International Review" )
オルギヴァンナは、帝国ホテル取り壊し反対運動の応援で、
タリアセンのフェローたちとともに 1967年 10月に来日した。

ライトは 1928年に、1924年以来結ばれていた オルギヴァンナと結婚した。
オルギヴァンナは もともとはモンテネグロ(かつてのユーゴスラヴィアの
一員としての公国)の名家出身の オルガ・ラゾヴィッチ・ヒンゼンバーグ
(建築家 ヒンゼンバーグとの結婚前は オルガ・イワーノヴィッチ・ラゾヴィッチ)といい、
1924年に 57歳のライトと出会った時には 26か 28歳だった。ライトは たちまち
彼女に恋をした。当時彼女は 夫と別居中で、一人の子持ちだった(娘 スヴェトラーナ)。

オルガは、アルメニア生まれの 神秘主義の思想家 ゲオルギイ・グルジエフ (1877-1949) の
信奉者で、彼のもとで7年間も厳格な修業をし、教団のインストラクターも勤めた。
興味のある人は、音楽家のトーマス・ド・ハルトマンの協力を得て グルジエフが作曲した、
瞑想的なピアノ曲集を聴かれたい。私の手元にあるのは、セシル・ライルのピアノによる
古い『奇跡を求めて〜グルジエフの神秘』だが、ほかにも 数枚 CD 化されている。
グルジエフは 1935年に ウィスコンシンのタリアセンを訪れて滞在し、ライトとも親交を温めた。

CD2枚組 『 奇跡を求めて〜グルジエフの神秘 』

オルギヴァンナという名前は、ライトによる オルガの愛称だったが、次第に本名のようになり、
対外的にも その名前を名乗った。 彼女は、生活感覚のないライトを、終生、献身的に支えた。
ライトの前妻・ミリアムが悪妻だったのに対して、オルギヴァンナは、かけがえのない良妻であったと
言える。 ライトの『自伝』には こんな記述がある。(樋口清訳、下巻「ある芸術の展開」p.100)
「オルギヴァナは、私が(ピアノを)弾くのを 聴くのが 好きだと言う。 彼女の心は優しく、
人を元気づけ、私のような攻撃的な自尊心をも 傷つけることはない。」