ENJOIMENT in ANTIQUE BOOKS - XIV
ジェシー・M・キング 画
『 幸福な七日間 』
Jessie M. King:
" Seven Happy Days "
A Series of Drawings, 1993, The Fraser Press, Glasgow
Originally Christmas Supplement fo the Studio, 1913

神谷武夫

幸福な七日間
『幸福な七日間』を開いたところ

BACK     NEXT


古書の復刻版

 この「古書の愉しみ」のサイトでは、今までオリジナルの古書を紹介してきましたが、今回はオリジナルではなく、古書の復刻版です。復刻版では、「古書の愉しみ」は あまりないのではないか と思われもしましょうが、必ずしもそうではありません。そもそも 希少な古書というのは 市場価格が非常に高く、手に入れるのが困難です。しかも、古ければ古いほど、本は傷みますので、それが出版された当時の輝きは かなり失われ、汚れや染み、日焼け、黄ばみ、すり傷、凹み、折れ線などが入り、時には 以前の所有者の書き込みやサインがあったり、あるいは 蔵書印が押されていたりもします。それでも「稀覯書」であれば、かなりの価格で 取引されることにもなりますが。

幸福な七日間
『幸福な七日間』の表紙

 であれば、それが最初に出版された時のような、汚れや書き込みのない、鮮やかな姿で復刻されれば、価格の安さと相俟って、大いに歓迎されるべきことだと言えます。まして、読むためだけの活字本であれば、オリジナルと復刻版との差は、ごく小さくなります。ただ 文学書では、作家の「初版本」を手に入れたいというファンが多くいますので、表紙などまで オリジナルの通りに復刻されれば、それを買って満足する という人も多いはずです。日本の近代文学の書籍では、かつて 近代文学館による復刻版が盛んに出版されました。漱石でも鏡花でも、オリジナルの本が 新刊で出版されたかのような印象で、これは日本の誇る、ひとつの出版文化形態でした。

幸福な七日間
『幸福な七日間』の 第1の絵

 しかしヨーロッパでは、本の購入者が それを自分の好みどおりに 革で「再製本」するという習慣がありましたので、オリジナルの表紙が 特に尊重されるわけでもないので、初版本の復刻をする ということに あまり意味を認めません。復刻されるのは、特別に貴重な本とか、学術的に必要な本、という場合が多いようです。

幸福な七日間  
『幸福な七日間』の 第1のスケッチと、第2の絵

 そのために、挿絵本の復刻版というのは 滅多に作られないので、その道の愛好者は 古い挿絵本を入手するのに 苦労をします。ただ、19世紀までの挿絵本というのは、図版が石版画(リトグラフ)や 銅版画(エッチング)、木版画(ウッドカット)、そして ポシュワールでしたので、これらは 復刻本を作るのが困難です。現代の写真製版による 普通の印刷にしたのでは、オリジナルの版画や ポシュワールの鮮やかさや味わいが 再現できないからです。最も人気のある ジョルジュ・バルビエの挿絵本の復刻版など、一度も 作られたことがありません。ジェイムズ・ファーガソンの本なども、オリジナルには 大量の小口木版が挿入されていますので、インドで何度も出版されたリプリント版は 用紙も印刷も悪く、オリジナルとは 比較になりません。(それでも インドの学生にとっては、低価格で入手できること自体が、有り難いことだったでしょうが。)

幸福な七日間   ジェシー・キング  
『幸福な七日間』の 第2のスケッチと、第3の絵

 しかし、もしもオリジナルの版が もともと近代の写真製版による印刷本であったのなら、これを現代の印刷技術で復刻すれば、オリジナルに引けをとらない、というより、むしろ汚れや傷のない、美麗な本が 手に入ることになりますから、現代の本の「増刷」よりも 優れた版ということになります。この「古書の愉しみ」のサイトで 以前に採りあげた挿絵本は、いずれも フランスのポシュワール技法による、版画の一種の挿絵で 満たされていましたから、これを 普通の印刷で復刻したのでは、魅力と価値が 半減することになります。しかし 今回採りあげる イギリスの『幸福な七日間』は、もともとが 水彩画とペン画を写真製版したものなので、その復刻版は オリジナルに まったく遜色のないものとなりました。(イギリスでは、フランスのような ポシュワールによる挿絵本は 作られませんでした。)しかも、オリジナルは雑誌の付録に過ぎなかったものを、厚表紙のハード・カバーにしたのですから、むしろ復刻版のほうが、手にして立派な本となっているわけです。(もちろん、絶対にオリジナルでなければ いやだという人は、大枚をはたいて 手に入れるでしょうが。)

幸福な七日間   ジェシー・キング  
『幸福な七日間』の 第3のスケッチと、第4の絵


アール・ヌーヴォーの挿絵本

 今回の『幸福な七日間』(SEVEN HAPPY DAYS)の作者は イギリスの、正確にいうと スコットランドの 女性挿絵画家、ジェシー・マリオン・キング(1875-1949)です。スコットランドと言えば、このホームページで採りあげた人としては、建築史家の ジェイムズ・ファーガソン(1808-86)や、19世紀のインドを描いた画家、ウィリアム・シンプソン(1823-99)、彼らの本や岡倉天心の本を出版した出版社主、ジョン・マリーなどがいます。W・シンプソンが対抗馬と目した画家、19世紀の最高のリトグラフ画集 “Holy Land” 全 5巻を出版した デイヴィド・ロバーツ(1796-1864)もそうでした。ファーガソンはその建築論で、ヨーロッパの建築と美術は、その主体がケルト人からアーリヤ人となるにつれて 堕落したのだと書きました。そのケルト人の末裔たるスコットランド人が、19世紀後半から 20世紀前半にかけて、イギリスの美術と建築を大いに発展させたのでした。その中心地がグラスゴーです。

幸福な七日間   ジェシー・キング
『幸福な七日間 の 第4と 第5のスケッチ

 19世紀末に ヨーロッパ各地で、当時のアカデミーの新古典主義に反旗を翻して 新しい芸術運動、建築流派が現れました。それらを一括して「アール・ヌーヴォー」(新しい芸術)と呼ぶことができ、その代表地が パリと ウィーンと グラスゴーでした。アール・ヌーヴォーを代表する挿絵画家と言えば、オーブリー・ビアズリー(1872-98)ということになりますが、私の最も好きなアール・ヌーヴォーの挿絵本は、この『幸福な七日間』です。(一番好きな英国の挿絵画家といえばウィリアム・ヒース・ロビンソンになりますが、彼はアール・ヌーヴォーの画家ではありません。)

幸福な七日間   ジェシー・キング
『幸福な七日間』の 第5の絵と、第6のスケッチ

 グラスゴーのアール・ヌーヴォーと聞いて、誰もが真っ先に思い出すのは、チャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868-1928)と、彼が設計した グラスゴー美術学校でしょう。マッキントッシュが夜間学生だった頃、それは 片田舎の平凡な美術学校に過ぎませんでした。それを、イギリスを代表する美術学校に仕立て上げたのは、1885年に 若干 31歳で校長となった、フランシス・H・ニューベリーでした。彼は それまでアカデミーの古典絵画の模倣に明け暮れていた学校を改革し、デザインや工芸、建築に力を入れ、学生たちの新しい感覚を発掘して 奨励しました。

幸福な七日間   ジェシー・キング
『幸福な七日間』 の 第6の絵と、第7のスケッチ

 なかでも、その中心となったのが マッキントッシュです。ニューベリーは、新しいカリキュラムに対応させるために 新しい校舎を建てる企画を上部に認めさせ、それをコンペにして、マッキントッシュの案を選びました。資金不足から、これは2期に分けて実現され、その 10年以上にわたる仕事のなかで マッキントッシュは、同期のJ・ハーバート・マクネア、マーガレットとフランシスのマクドナルド姉妹と組んで「ザ・フォー」(4人組)を結成して、美術、建築、デザインのあらゆる領域に及ぶ「グラスゴー・スタイル」を確立していったのです。

ジェシー・マリオン・キング

ジェシー・マリオン・キング
美術学校時代の ジェシー・マリオン・キング, 1895
(From "The Enchanted World of Jessie M King" by Colin White, 1989)

 そこへ入学したのが、マッキントッシュより7歳下の ジェシー・ マリオン・キング(1875-1949)でした。牧師館の家に生まれたジェシーは、自然の中で育った素朴な娘でしたが、マッキントッシュらの影響を受けながら、美術学校の中で めきめきと才能を発揮し、特にブック・デザインと挿絵の領域で注目され、数々の賞を受けて、英国を代表する挿絵画家へと 育っていきました。校長のニューベリーは 彼女の才能を高く評価して その活動を後押しし、卒業後は教員に採用したりもしました。ジェシーの 自由な曲線を駆使した繊細な線画による挿絵は、多くの人を魅了し、比較的長命だったので、装幀や挿絵で 生涯に手がけた本は 250冊に及ぶと言われます。

ザ・スチューディオ
『ザ・スチューデイオ』誌の表紙、第45巻189号

 また、マッキントッシュやジェシー・キングの仕事を大いに評価して、世の中に積極的に紹介してくれたのが、美術雑誌『ザ・スチューディオ』でした。これは 今に続く、英国で 最も伝統のある美術雑誌で、1893年に創刊されました。創刊号の表紙は、やはり この雑誌で後押しされた ビアズリーが、デザインしています。この、新しい美術を積極的に採りあげて ヨーロッパばかりか アメリカにまで影響を及ぼした美術雑誌のおかげで、グラスゴー美術学校と その一派が 世界に知られたと言ってよいでしょう。ジェシーの細密画も、たびたび掲載されました。

幸福な七日間   ジェシー・キング
『幸福な七日間』の 第7の絵と、第8のスケッチ

 しかし彼女の死後、マッキントッシュは その大きな仕事と 幅広い活動によって、世界に名を轟かせる 初期近代建築家の一人として 注目され続けてきましたが、挿絵画家という 小さな世界の住人であった ジェシー・キングは、次第に忘れられていきました。その一人娘の マール・テイラーは、その晩年に 母の記憶を後世に残したいと思ったらしく、英国の挿絵画家などの著作家、コリン・ホワイト(1927- )に その仕事を委託しました。コリン・ホワイトが ジェシーの伝記 “The Enchanted World of Jessie M King” (ジェシー・M・キングの魅惑の世界)が完成・出版されたのは、マールの死後の 1989年でしたが、この本をきっかけに ジェシーの再評価が進み、彼女の手がけた挿絵本は 次第に高価になっていきました。そこで、何冊かの本が復刻されましたが、その中でも一番人気のあるのが、この『幸福な七日間』です。

 ジェシーは 1910年から5年間、夫とともにパリに住みましたが、その間、何度か 各地で個展を開きました。1912年に グラスゴーの アナン画廊での個展で展示した連作が 本書の7点の水彩画です。その時に『幸福な七日間』と題されていたのかどうかはわかりませんが、翌年、『ザ・スチューディオ』誌が 12月号の「クリスマス特別付録」として、これら一連の絵を出版することにしました。今からちょうど 100年前のことです。四つ折り本で、二折り 16 ページ、表紙は本文と共紙(ともがみ)にした、本というよりは小冊子 (パンフレット) といった感じのものでした。両面印刷にするので、彩色画 7点と表紙のほかに9ページ取れますので、ジェシーは やや小さめの 8点の単色画を描き加えました(本サイトでは 水彩画と区別して、「スケッチ」と呼んでおきます)。評判の美術雑誌が これだけのスペースを提供するというのは、かなりの優遇であり、この雑誌が いかにジェシーの才能を買っていたか ということが わかります。

幸福な七日間  ジェシー・キング  ジェシー・キング  幸福な七日間
雑誌の付録としての『幸福な七日間』の オリジナル版 (ウェブサイトより)
左から、表紙、第2の絵、第4の絵、裏表紙

 しかし雑誌の付録というものは、本とちがって、短期に処分されてしまうものでしょうから、これは 今では ほとんど手に入りません。そこで、80年後の 1993年に、グラスゴーのフレイザー・プレス社が 復刻版として出版してくれたので、今でも我々は これを楽しむことができます。オリジナルと違って 厚表紙なので、わずか 20 ページの薄さであっても、立派な本になりました。しかも ファクシミリ製版と印刷は 実に精巧で、細密画の細部の線まで 鮮明に出ています。しかも7点の彩色画には すべて 銀色 が 使われています(最後の3点には 金色 も使われていますが、これは それほど効果的ではないようです)。この 銀 が 角度によって光りますので、絵に渋い輝きを与えます。この6色刷りの印刷がたいへん良くできているので、これらは初版本から複写したのではなく、原画から直接 再製版したのかもしれません。

ジェシー・キング
『パリ風景』サン・ドニ門

 これを「挿絵本」と呼んできましたが、正確に言うと 挿絵本ではありません。なぜなら、ほとんど 本文がないからです。一見、子供向けの絵本のようにも見えますが(そう思って買った人も多かったことでしょうが)、絵の質は 子供向け絵本ではないので、ジェシー・M・キングの「画集」と言ってもよいのですが、その画風は、彼女の本領たる 挿絵としての細密画です。そこで 挿絵本と呼んでおきますが、その淡彩の透明な空気感といい、題名どおり、これほど幸福感を与えてくえる挿絵本は ないのではないかと思います。製本もよくできていて、申し分のない お勧めの、20年前の「古書」です。

楽園幻想 Arcadian Dream

幸福な七日間
『幸福な七日間』第2の絵 (部分)

 絵の内容はと言うと、彩色画には 下部の横枠の中に 絵のタイトルのみが、彼女の独特のレタリングで書かれています。一方、単色画には 枠どりの中に、ジョン・デイヴィドソンらの詩句が 引用・挿入されています。詩の翻訳は難しいので、各絵の下に、ただ読みやすくした英文を 再録しておきますので、自分で訳しながら 読んでください。で、すべての絵の順序も、この復刻版に並べられている通りに、左右見開き関係もそのままに、全部で 15点の絵をスキャンして、ここに掲載しました。しかしオリジナルの版を ネットで探して 比較してみたら、復刻版では 表紙を独立させて、中を 20ページに ゆったり配したせいか、オリジナルとは 左右の絵の組み合わせが 順繰りに ずれていることがわかりました。そして、引用された詩を 順に読んでいっても、そこに 一つのストーリーを見つけることはできません。海野弘氏は『流線の挿絵画家 ジェシー・キング』(マール社)の中に、
  「<七日間>は旧約聖書の、神が七日で天地創造をした話にちなんでいる。」
と書いていますが、私には、どうも そうとは思えません。まあ、それも一つの要素として あって『幸福な七日間』というタイトルが ついたのかもしれませんが、この挿絵画集は、ひとつの特定のストーリーの絵解きではなく、『ザ・スチューディオ』誌のクリスマス用の付録としていたことから、「降誕祭」も、また復活祭前の「聖週間」も 含意しているのかもしれません(第6の絵には聖母子が、第7の絵には 復活したキリストが 後景に描かれています)。
 しかしこれらの絵のシリーズ全体としては、コリン・ホワイトが『ジェシー・M・キングの魅惑の世界』に書いているように、ジェシーの ‘Arcadian Dream’、すなわち「楽園幻想」だと考えるのが 一番 妥当だと思います。それは、ジェシーが意識していたわけではないでしょうが、イスラームの 「楽園願望」 にも通じています。スコットランドの自然の中で育ったジェシーにとって、グラスゴーやパリの都会生活は 完全に満足すべきものではなく、常に田園生活への渇仰を抱いていたのではないでしょうか。それを絵にすれば、エデンの園への「楽園願望」になったのではないかと思われます。(ジェシー夫妻は この本の出版の2年後の 1815年に スコットランドの海辺、カークーブリーに移住して、その後半生を送ります。)

ジェシー・キング
ミッドウェーガーデンズの彫刻と、ジェシー・キングの挿絵

 ところで、私がこの挿絵本に惚れ込んだのは、まるで少女漫画の元祖のような、ジェシーのロマンチックな描画だけにあったのではありません。その構図の取り方が、人体は曲線的であっても、樹木や枝が 四角い幾何学的な枠取りをなして、一種、建築のドローイングのような印象があるからです。おそらくマッキントッシュが建築家であったことからくる影響だったのでしょう。
 その枠組みの幾何学性と、フリー曲線による描画とが一体化した絵が、それまでに見た挿絵画家たちとは、ずいぶんと異なった印象をもたらし、私に快感を与えたのでしょう。そして それは、直線的な幾何学紋と曲線的な植物紋を組み合わせるイスラーム建築の装飾をさえ 思い起こさせます。

そしてまた、この本を最初にパラパラと めくった時に、まっ先に 二つの点が 目につきました。ひとつは「樹木の精」のような天使たちの姿が、とっさにフランク・ロイド・ライトの ミッドウェイ・ガーデンズの天使 (?) の彫刻を連想させたこと。
 もうひとつは、ジェシーの 第2のスケッチが、昔、アメリカでライトの作品を見てまわった折に、どこかの美術館のミュージアム・ショップで買った「便箋」を 思い出させたことです。その便箋を 机の引き出しから見つけ出して ジェシーの絵と見比べてみると、その画感はそっくり、同じアーティストの作品かと見まごうばかりです。ショップでこの便箋を見つけた時は、ライトがデザインしたのかと思いましたが、あとで裏を見ると、小さく別の人の名が書いてありました。いったい それは誰でしょうか? それは、次回の「古書の愉しみ」で。

ジェシー・キング
ジェシー・キングの挿絵と、アメリカで買った便箋との比較

( 2013/ 05 /01 )


< 本の仕様 >
"SEVEN HAPPY DAYS" ジェシー・M・キング画集、1993年、グラスゴー、フレイザー・プレス社
  (初出は 1913年、美術雑誌『ザ・スチューディオ』12月15日号の クリスマス用の特別付録)
  28.5cmH x 20.5cmW x 0.8cmD、20ページ。英語(ジョン・デイヴィドソンなどの詩句)
  厚表紙の上製本、ジャケットなし。 ページ大の彩色画 7点(金・銀使用)と、単色画 8点。



BACK     NEXT

© TAKEO KAMIYA 禁無断転載
メールはこちらへ kamiya@t.email.ne.jp