ANTIQUE BOOKS on ARCHITECTURE - XIII
ジョルジュ・ペロー、シャルル・シピエ 共著
『 フリュギア、リュディア、カリア、リュキア美術歴史 』
Georges Perrot & Charles Chipiez:
"History of Art in Phrygia, Lydia, Caria, and Lycia"
English edition, 1892, Chapman and Hall, London.

神谷武夫


『 フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの美術の歴史 』

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ジョルジュ・ペローと シャルル・シピエのコンビ

 この「古書の愉しみ」シリーズでは、何冊か、ごく初期の「世界建築史」の古書を採りあげましたが、ジェイムズ・ファーガソンが最初の『世界建築史』(上巻, 1865)を出版した 17年後、世界建築史の重要な一部をなす、中東の古代美術・建築史の非常に詳しい書物のシリーズの 第1巻がフランスで出版されました。ファーガソンが 最初の「世界建築史」を意図した書物、『芸術、とりわけ建築美に関する 正しい原理への歴史的探究』の第1巻を出した 1849年からいうと、33年後のことです。この間に、ヨーロッパ以外の地域の 建築の研究も 次第に進んでいました。
 ファーガソンの 『歴史的探究』 は 全3巻の予定の内、第1巻だけで終わってしまいましたが、その第1巻が扱っていたのは、エジプト、西アジア、ギリシア、エトルリアでしたから、それは「中東の建築」の巻だと いうこともできます。 このエリアを はるかに詳しく、先行する旅行家や探検家の報告書(テクシエの『小アジア』など)をもとに 現地調査して、ファーガソンの本と同じように 小口木版の図版を豊富に挿入して 記念碑的な出版をしたのが、フランスの考古学者・ジョルジュ・ペロー (Georges Perrot, 1832-1914) と、建築家・シャルル・シピエ (Charles Chipiez, 1835-1901) のコンビです。

フリュギアのミダス王の墓

 二人が どのようにしてコンビを組むようになったのかは 詳らかでありませんが、1883年に第1巻の『古代エジプトの美術の歴史』を出して以来、世を去るまで、常に協同で現地を調査し、共著で このシリーズの執筆をし続けました。シリーズの名前は仏語で “Histoire de l’Art dans l’Antiquité” ですから、『古典古代の美術の歴史』ということになります。
 18世紀のドイツの 名高い考古学者で 美術史家の ウィンケルマン(Johann Joachim Winckelmann, 1717-68)の主著(1764年)が、”Geschichte der Kunst des Alterthums” で、通常、単に『古代美術史』と訳されています。この本の仏訳名は ”Histoire de l’Art de l’Antiquité” で、ペローとシピエのシリーズ名とまったく同じですから、二人は 120年前の ウィンケルマンの本の題名を借用したのかもしれません。
 しかし ウィンケルマンの「古典古代」というのは、もっぱら ギリシア・ローマ文明を指しますが、ペローとシピエのものは もっと広く、中東全域の古代美術を扱うことを意図しました。もちろん インド圏や 中国圏の古代は 対象外でしたから、こちらのシリーズ名は『古代中東の美術の歴史』と訳すのが妥当と思います。ただし 英訳版には シリーズ名というのは書いてなく、巻数名も示していないので、一巻ずつ 独立した書物のような扱いです。しかし 同著者、同出版社の本であり、造本や装幀も そろえているので、シリーズであるということは、一見して 明らかになっています。

『 フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの美術の歴史 』

 ジョルジュ・ペローは、パリの高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリエール)の出身で、1861-62年に小アジアを旅して、『アウグストゥス帝の政治的遺言('The Political Testament of the Emperor Augustus')』のギリシア語訳を発見して『考古学雑誌』に発表し、この経緯を『小アジア紀行』として1863年に出版して、中東考古学者としての地位を確立しました。『リグ・ヴェーダ』の校訂本を出し、比較言語学や比較宗教学の礎を作った マックス・ミュラーの著書の翻訳もしています。早くから「碑文・文芸アカデミー」の会員に迎えられ、ソルボンヌの教授、『考古学雑誌』の編集長、そして高等師範学校の校長を務めるなど、生涯、存分に活動したようです。

 建築家のシャルル・シピエについては、その経歴があまり知られていません。どこで建築教育を受け、どんな作品を残したのか、まったくわかりませんが、どうやら19世紀のフランスの建築・美術教育の牙城だったパリ美術学校(エコル・デ・ボザール)とは対立関係にあったらしく、ボザールの保守性に対抗して作られた高等建築学校(Ecole Special d’Architecture)で教職についていました。

『 フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの美術の歴史 』本文-1

 ペローは、1861年のギリシアと小アジア旅行では、建築家の エドモン・ギヨーム(Edmond Guillaume)と協働したようですが、本格的に中東の美術を調査し、ライフワークとするにあたっては、シャルル・シピエと協働しました。フランスの名門出版社・アシェット社(Librairie Hachette et Cie)の援助を受けて、中東各地を調査旅行しては「古代中東の美術の歴史」シリーズとして、アシェット社から1巻ずつ上梓していきました。

 最初に出版したのはエジプト編で、今からちょうど 130年前の 1882年のことです。本は四つ折り本(クワルト)で、28×19cmという やや大型本、しかも 880ページもある大著です。小口木版による図版が 616点も挿入されました。
 これを第1巻として、1884年に第2巻「カルディアとアッシリア」、1885年に第3巻「フェニキアとキプロス」、1887年に第4巻「ユダヤ、サルディニア、シリア、カッパドキア」、1890年に第5巻「ペルシア、フリュギア、リュディア、カリア、リュキア」、1894年に第6巻「初期のギリシア、ミュケナイ」、1898年に第7巻「ギリシア(神殿編)」と、各700〜1,000ページもある本を 出版していきました。


『 古代中東の美術の歴史 』オリジナルの仏語版 第7巻まで 1882-1898

 しかし 1901年にシピエが世を去ると、あとはペローが一人で執筆せざるをえず、1903年に第8巻「ギリシア(彫刻編)」、1911年に第9巻「ギリシア(宝石彫刻、貨幣、絵画編)」、1914年に第10巻「ギリシア(アテネの陶器編)」を出したところでペローも世を去り、二人が構想した 完全な中東美術史全集とは なりませんでした。とはいえ、これだけ詳細な内容の中東の古代美術と建築を、19世紀末から20世紀初頭にかけて全 10巻にまとめあげたのは、まさに偉業と言えるでしょう。


「古代中東の美術の歴史」 シリーズ

 この大出版は、当初から英訳されることが決まり、仏語版が出版されるごとに 英訳されていきました。第3巻までの翻訳は オクスフォード大学出身の美術評論家、ウォルター・アームストロング (Walter Armstrong, 1850-1918) が当たり、第4巻はI・ゴニノ (I. Gonino)という人が担当しましたが、それ以後は、翻訳者名が書いてありません。ヨーロッパ諸語のあいだの翻訳は それほど難しくないせいか、翻訳書には しばしば 訳者名が記載されていません。
 英語版の出版社は、イギリスがロンドンの チャップマン・アンド・ホール社 (Chapman and Hall)、アメリカがニューヨークの A・C・アームストロング・アンド・サン社(A.C. Armstrong & Son)でした。もしかすると、訳者の ウォルター・アームストロングというのは、ニューヨークの出版者、A・C・アームストロングの息子だったのかも しれません。

『 フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの美術の歴史 』 本文-2

 フランスの原書は 全巻が あまりに大部の書だったので、英語版は それぞれを2分冊として、手に持ちやすくしました。本の大きさは 仏語版と ほぼ同じですが、大判八つ折本(インペリアル・オクターヴォ)と称しています。ページ数は、2分冊なので、仏語版の半分ずつとなりました。
 ただ、前述のように、英語版では、シリーズ名も 巻数名も 書かれていません。そして、なぜか 翻訳は、仏語版の第6巻までで終わってしまい(それでも 全部で 12冊になりますが)、あとの4巻は 翻訳されずじまいでした。出版された英語版の全巻を、下に示しておきます。巻数名は、仏語版と対照させるために 便宜的につけたものであって、実際にはありません。

1. 『 古代エジプトの美術の歴史 』 1883年, 上下2巻, 444+434ページ, 図版 598.
2. 『 カルディアとアッシリアの美術の歴史 』 1884年, 上下2巻, 398+420ページ, 図版 452.
3. 『 フェニキアとキプロスの美術の歴史 』 1885年, 上下2巻, 410+460ページ, 図版 644.
4. 『 サルディニア、ユダヤ、シリア、小アジアの古代美術の歴史 』 1890年,
   上下2巻, 370+294ページ, 図版 395.
5-A. 『 古代ペルシアの美術の歴史 』 1892年, 508ページ, 図版 254.
5-B. 『フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの美術の歴史 』 1892年, 405ページ, 図版 283.
6. 『初期ギリシア、ミュケナイ美術の歴史』 1894年, 上下2巻, 538+499ページ, 図版 544.


『 フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの美術の歴史 』

『フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの美術の歴史 』本文-3

 私が所有しているのは、この内の ただ1冊、今からちょうど 120年前に出版された、5-B の『フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの美術の歴史 』です。ペルシア編と合わさった仏語版の極厚本よりは、ずっと扱いやすい厚さの版と言えます。そして仏語版は 革装のクラシックな装幀でしたが、英語版はバックラムのような 布装で、ずっとモダーンな装幀となっています。豪華さは、もちろん仏語版が上で、小口は三方とも金になっていますが、英語版は天金もなく、三方ともアンカット本でした。
 この本を、トルコのリュキア地方に旅行に行くと決めた時に、アメリカの古書店に注文し、内容本位で注文したのに、届いてみたら、予期に反して あまりに きれいな本だったので 驚いてしまいました。私の古書蒐集熱は、この時の幸福感に始まった と言ってもいいでしょう。120年前の本だというのに、実に堅牢で、丸背は完全に丸く 金文字の箔押しも 色褪せずに美しく、表紙も派手になり過ぎない程度に意匠がこらされ、本文用紙もファーガソンの『世界建築史』の改訂版と同じような、腰の強い上質紙で、小口木版の図版も精巧に印刷されています。
 図版は 283点あり、片面印刷の1ページ大の図版も 18葉あります。他の巻には カラー図版や 折り込みの大型図版があったりするのと比べると、やや地味ですが、この本は、今でも私の愛蔵する1冊です。
 しかも アナトリア(現・トルコ)の 古代フリュギアからリュキアの 美術・建築をまとめた本で、これほど詳しい本は その後もなく、トルコを旅する上で、どんなに役立ったか しれません。この本がなければ、私の 「インドの石窟寺院への リュキア石窟墓の影響」論は、あれほど早く まとめられなかったことでしょう。

( 2012/ 08 /01 )


< 本の仕様 >
『 フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの美術の歴史 』(古代中東の美術史シリーズ)
"History of Art in Phrygia, Lydia, Caria, and Lycia" ('History of Art in Antiquity' Series)
  ジョルジュ・ペロー Georges Perrot + シャルル・シピエ Charles Chipiez 共著
  1892年、ロンドン、チャップマン・アンド・ホール社 Chapman and Hall, London.
  ニューヨーク、A・C・アームストロング・アンド・サン社 A.C. Armstrong, New York.
  (オリジナルの仏語版は、パリ、アシェット社刊 Librairie Hachette, Paris, 1890年)
  英語版、版元装幀、ハードカバー、布装(バックラム、濃赤茶色)、アンカット
  インペリアル・オクターヴォ、18cm × 27cm× 3cm、1.2kg、xii+ 405ページ、
  小口木版による図版 283点(片面印刷の1ページ大 18葉)



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