ジョルジュ・ペロー と シャルル・シピエ著 『フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの 美術の歴史』
p.xii-1 第1部「フリュギア、ミュシア、ビチュニア、パフラゴニア」のトップ・ページ


ジョルジュ・ペロー と シャルル・シピエ著 『フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの 美術の歴史』
p.38-39 シフュルスの地図と、イアマンラル・ダーの港(図版は木口木版、以下同じ)


ジョルジュ・ペロー と シャルル・シピエ著 『フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの 美術の歴史』
p.80-81 ミダス・シェフリの、ミダス王の墓


テクシエの本から転載された、ミダス王の墓の図版。     ペローとシピエ、
そしてファーガスンも、中東の建築の初期の調査記録として 大いに尊重したのは、
シャルル・テクシエ (Charles Texier, 1802-71) の『小アジア』(”ASIE MINEURE,
Description Geographique, Historique et Archeologique” 1862) だった。


ジョルジュ・ペロー と シャルル・シピエ著 『フリュギア、リュディア、カリア、リュキアの 美術の歴史』
p.102-103 アヤジーンと バクシーシュの石彫墓