ANTIQUE BOOKS on ARCHITECTURE - X
アルベール・ガイェ 著
『 アラブ美術 』 『ペルシア美術』
Albert Jean Gayet:
"L'Art Arabe" et "L'Art Persan"
1893, 1895, Ancienne Maison Quantin, Paris.

神谷武夫

『ペルシア美術 』と『アラブ美術』

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 ヨーロッパ以外の地域の 建築の研究、とりわけ 建築史の研究が始まったのは 19世紀半ばと言ってよいでしょう。それまでは、旅行家や冒険家がアジア、アフリカ、中南米を旅して、現地の風俗を絵にしたり、民俗誌として出版したり していました。しかしヨーロッパ列強による植民地の拡大とその統治が、現地の文化や歴史の知識を必要とするようになり、行政側が 組織的に研究を始めたりもしました。
 そうした植民地諸国の中で、建築や歴史の研究が とりわけ急速 かつ高度に進展したのは、インドでした。ジェイムズ・ファーガソンという偉大な建築史家が現れ、続々と優れた書物を出版したのと競争するように、アレクサンダー・カニンガムを初代長官とする インド政府考古調査局が 組織的に古代の遺跡や中世の建築遺構の調査を進め、毎年 浩瀚な報告書を出版したからです。

『アラブ美術』と『ペルシア美術』を開いたところ

  ファーガソンの本は この「古書の愉しみ」シリーズで何冊も紹介してきましたが、今まで 特にイスラーム建築史を標榜する本を採りあげてこなかったことを いぶかしく思っている人も いることでしょう。そのわけは、19世紀には、インド建築史におけるファーガソンに匹敵するような イスラーム建築史家が現れなかったことにあります。ファーガソンの『インドと東方の建築史』(1876)に比肩するような イスラーム建築史の書物が出版されるのは、20世紀も だいぶ経ってから、ということになります。
 そもそも 19世紀には、アジアやアフリカのイスラーム圏全体を ひとつの建築文化として捉えるという視点がなかった ことにもよります。インド亜大陸というのも ずいぶんと広大な領域ですが、イスラーム圏というのは、そのインドも含めて はるかに広大であったために、現在のような交通機関が発達していなかった 19世紀に、それらの地域を くまなく調査する などということは不可能でした。

 したがって 建築や美術の研究というのも、限定された地域や民族を対象とするものと ならざるをえませんでした。そして、まだ イスラーム建築史研究というところまでは進んでいなかったので、それらは、建築を含む 美術全般の概説書ということになります。今回紹介するのは、アラブ地域の美術と、ペルシア地域の美術を扱った本です。今から約 120年前の出版ですが、おそらくこの2冊が、19世紀に 中東のイスラーム美術を概説した 唯一の本ではないかと思います。インドよりも ずっとヨーロッパに近い中東(近東とも呼ばれたくらいですが)の美術・建築の研究が、インドに比べて これほど遅れたというのは、少々不思議な気もします。

『アラブ美術』の表紙と扉

 ただし、古代エジプト研究だけは別です。ナポレオンが 18世紀末にエジプトに侵攻し、その際、一群の学者を組織して エジプト文化の調査に当たらせ、それを『エジプト誌』として 1809年から 1922年にかけて出版し、エジプト学を確立しました。しかしながら、その素晴らしい銅版画の 超弩級の図版集は、もっぱら 古代エジプト文明を扱っていて、カイロの膨大なイスラーム建築は 全く出てきません。つまり、イスラーム建築というのは、当時の現代建築 または近代建築なのであって、考古学者たちの関心の外にあったわけです。

 それでも、これ以後 多くの学者や若者たちが エジプトを主とする中東におもむき、古代文明ばかりでなく、イスラーム文化にも親しみ、興味をもって観察する人が増えていきました。その一人が、今回のフランス人 エジプト学者、アルベール・ガイェ(1856-1916)です。正しくは ジャン・マリー・フィリップ・アルベール・ガイェ (Jean Marie Philippe Albert Gaye) と言い、フランス東部の ディジョンの出身です。彼が主に研究したのは、むしろ エジプトのコプト文化だったようですが、古代ローマ時代のエジプト中部の都市 アンティノポリス(フランス名 Antinoé アンティノエ)の発掘で知られています。

『アラブ美術』の本文

 今回採りあげる『アラブ美術』(Art Arabe, 1893) と『ペルシア美術』(Art Persan, 1895) は、「美術教育叢書」(Bibliotheque de l’Enseignement des Beaux-Arts) の中の2冊です。出版社は、19世紀半ばから 20世紀初めにかけて、フランスにおける美術書出版で名を馳せた メゾン・カンタン社(Ancinenne Maison Quaintin)です。社名にAncienne(古代の)とあるのは、主に古代と中世の美術をとりあげたからか、ある時期から 冠せたようです。(メゾンは 家 の意、カンタンは 社主の名です。)
 パリ美術学校(エコール・デ・ボザール)と関係が深かったらしく、多くの美術書を出しましたが、その一環として、全部で数十巻にもなる「美術教育叢書」を出版しました。ヨーロッパ美術が中心ですが、中東の美術も扱うこととなり(「ゴチック美術」や「ギリシア建築」、「フランスの諸様式」ばかりでなく、そこには「インド美術」や「日本美術」の巻さえ ありました)『アラブ美術』の執筆を、当時 40代初めだったアルベール・ガイェに依頼しました。そして2年後には『ペルシア美術』も、ガイェが執筆することになります。
 ただ その内容は建築書ではなく、美術全体を扱っていて、しかも まだ研究が進んでいなかった段階なので 実例も十分ではなく、あくまでも アラブの美術と建築に関する先駆的な本、という位置づけになります。『アラブ美術』は 全体がイスラームを扱っていますが、『ペルシア美術』は 全体の 1/3くらいが 第1部として古代ペルシア時代を扱っていて、あとの 2/3が 第2部としてイスラーム期を扱っています。どちらの本も「建築史」には程遠い内容で、現象面の記述が ほとんどです。

『ペルシア美術』の表紙と扉

 ガイェが『アラブ美術』を書くにあたって 大いに利用した書物は、プリス・ダヴェンヌ(1807-79)の『アラブの美術』です。正しい題名は『カイロのモニュメンタルな建物群による アラブの美術』(L’Art Arabe d’Après les Monuments au Kaire, 1869-77)で、もっぱらカイロの建築と建築装飾、そして工芸、写本を扱っています。著者は、エミール・プリス・ダヴェンヌ(Émile Prisse d’Avenne)というオリエンタリストです。当時はヨーロッパより東側の世界は、インドや日本に至るまで すべて一括してオリエントと呼ばれ、それらの地域を研究する人は オリエンタリストと呼ばれました。

 プリス・ダヴェンヌは ファーガソンよりも1年だけ早く生まれた、まったくの同時代人ですが、イスラーム美術の研究に没頭するあまり、イスラームに改宗して、イドリース・エフェンディという ムスリム名まで得ました。少年時代からオリエントに興味をもち、19歳のときから たびたび エジプトを中心として中東に旅をしたり 住んだりして、イスラーム文化に親しみ、調査をしました。ムハンマド・アリー朝(1805-1953)のエンジニアとして カイロで働いたこともあるようです。
 プリスは美術家でもあったので、その 40年にわたる調査の結果を 図面や絵や版画にしました。それを集大成したのが、この『アラブの美術』です(ガイェの本と区別するために、こちらには アラブのあとに「の」を入れました)。その第1巻が出たのは、ファーガソンの『インドと東方の建築史』の出版の 3年後です。これは 小型のテキストが1巻、大型の図版集が3巻からなる 超弩級の本で、特に クロモ・リトグラフ(彩色石版画)による アラベスクの装飾紋様の図版は、実に素晴らしい。これら 200点もの図版と それに付された解説は、アラブ美術についての、汲めども尽きせぬ源泉だと、ガイェ自身が『アラブ美術』の「序」に書いているほどです。

プリス・ダヴェンヌの『アラブの美術 復刻版

 この 全4巻からなる浩瀚な本のオリジナル・エディションは、古書の市場価格が 500万円以上もしますので、私が所有しているのは、ずっと廉価な、1983年にパリのル・シコモール社とロンドンのアル・サキ・ブックス社から共同で出た 復刻版にすぎません。復刻版といっても 完全なファクシミリ版ではなく、全1巻にまとめた 縮小版です(それでも 大きさが 33.5cm× 24cm に、厚さ4cm、重さが 3.2kg もあります)。
 ガイェの本は 21cm× 14cm という小型本で、しかも図版が やや貧しいので、プリス・ダヴェンヌの本の方が、見ていて はるかに愉しい本です。しかし オリジナル本は、パスカル・コスト(1787-1879)の『近世ペルシア建築図集』(Monuments Modernes de la Perse, 1867)や、オウエン・ジョーンズ(1809-74)の『アルハンブラ宮殿図集』(Plans, Elevations, Sections and Details of the Alhambra, 1835-45)と並んで、私などには まったく手の届かない、あまりにも豪華で高価な、19世紀に出版された イスラーム建築関係の古書です。

『ペルシア美術』 の本文

 さて、ガイェの『アラブ美術』と『ペルシア美術』の装幀ですが、前述のように、これらは 同一の叢書の一冊なので、書名以外は 全く同一の造りです。フランスの本ではありますが、今まで何度か述べたような、仮綴じ本(フランス装)ではなく、初めからハードカバーの布装本として 出版されました。したがって、これらを革で製本し直した人は、ごく稀だったことでしょう。
 表紙のデザインは、イスラームやアラブ、あるいはペルシアとは 何の関係もありません。社主の アルベール・カンタン(1850-1930)が、美術学校の学生から コンクールでデザインを募り、選んだもののようです。『アラブ美術』の扉に用いられている小図版は 出版社の 社章(コロフォン)のようで、MQ は メゾン・カンタン (Maison Quantin) 社 の頭文字なのでしょう。なので、表紙の左上、枠内の文字も、やはり頭文字の MとQ を あしらったものかもしれません。その右側には、たすきのような部分に、社名が書かれています。
 裏表紙には「美術教育叢書」という叢書名が書かれています。金文字の箔押しによる装幀は、悪くはありませんが、各巻、あまりにも同じすぎる という印象があります。ただ 本の主題によって、布装の色分けをしていたようで、青い布装や緑色の布装本もありました。『アラブ美術』と『ペルシア美術』は、同じ茶紫色をしています。

( 2012/ 02 /02 )


< 本の仕様 >
  ”アラブ美術 L'ART ARABE" アルベール・ガイェ著、1893年
  ”ペルシア美術 L'ART PERSAN" アルベール・ガイェ著、1895年
   パリ、アンシェンヌ・メゾン・カンタン社、「美術教育叢書」の内の 2冊
     八つ折り本(オクターヴォ)、各 21cmH x 14cmW x 2.5cmD
     フランス語、316ページ(アラブ)、320ページ(ペルシア) フランス語
     小口木版(ウッドカット)の図版 各 165点、 版元による布装本、茶紫色



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