【 訳者あとがき 】 より
本書は George Michel : THE HINDU TEMPLE, An Introduction to its Meaning and Forms, 1977, Harper and Row, New York の全訳である。著者のジョージ・ミッチェルはオーストラリア生まれで、現在最も活躍をしているインド建築史家である。メルボルン大学で建築を学んだあと、ロンドン大学の東洋・アフリカ研究所で インドとイスラム建築史を専攻して博士号を取得した。その後精力的に出版・著作活動を行い、主な編著書としては、本書のほかに次のようなものがある。
ARCHITECTURE OF THE ISLAMIC WORLD, ( ed.) 1978, Thames and Hudson, London
BRICK TEMPLES OF BENGAL, 1983, Princeton University Press, Princeton
THE ISLAMIC HERITAGE OF BENGAL, 1984, Unesco, Paris
THE PENGUIN GUIDE TO THE MONUMENTS OF INDIA, vol.1, 1989, Viking, London
THE VIJAYANARGARA COURTLY style, 1992, Manohar Publications, New Delhi
このほかに、インドで出版されている「マールグ」美術シリーズ(Marg Publications, Bombay, 年4冊刊行)において、
ISLAMIC HERITAGE OF THE DECAN (1986) / AHMADABAD (1988) / LIVING WOOD (1992)
その他の編集、執筆をしている。もともと建築出身であるだけに、文献的なアプローチよりも建築の形や空間そのものを探求しようとする姿勢がある。本書はその著作活動の中では初期のものに属するが、ヒンドゥ建築全般の簡潔な概説書としては、今も十分に有効である。1988年にシカゴ大学出版局が再刊をしたのは、その教科書的な有用さに注目したためであろう。
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本書の特色としては、建築的記述に入る前に、ヒンドゥ教の概要と寺院の意味について大幅なページ数をさいていることが挙げられる。それがキリスト教建築についての本であれば、宗教的な教義や歴史から説き始める必要はないだろうが、ヒンドゥ教のような、ヨーロッパ人にとっても日本人にとっても馴染みの少ない宗教の建築について論じるには、まずもって宗教的内容から説明していかなければ、それに基づいた建築の特質も十分には理解されないからである。
その中でも興味深いのは第3章から第5章の、ヒンドゥ寺院の営まれ方や建てられ方であろう。こうしたことは従来のヒンドゥ教の本からも建築史の本からも抜け落ちていた部分であって、単なる歴史や教理ではない、生きた寺院のようすというものを私たちに伝えてくれる。
しかしながら、もともと大部の本でもない上に、そうした建築以前の説明に大きくページをさいているために、建築史の記述の部分は、あの膨大なヒンドゥ建築を(それもインドだけでなく東南アジアまで含めて)通覧するには、いささか急ぎ足にならざるをえなくなったようである。個々の地域や時代の建築の記述としては、いくぶん物足りなく思えもするが、しかし本書はあくまでもヒンドゥ建築の入門書なのであるから、もっと詳しい叙述は今後の出版に待つべきであろう。
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本書はわが国で初めての、インドを中心とするヒンドゥ建築の書である。外国への旅行者が多くなったとはいえ、インドに旅行する人は まだまだ少ない。けれども 欧米が憧れの対象ではなくなってきた現在、インド文化に対する潜在的な興味は たいへんに大きい。そうした時、インドの建築をほとんど知らない人々にインド建築の魅力を伝えるためには、何よりも美しくて正確な写真を提供することが必要である。
本書の原書は、多数の写真を掲載してその期待に応えようとしているとはいえ、それらは すべて白黒写真であるので、その効果は いまひとつであると思われた。そこで日本語版では原著者の了解をえて、訳者が長年撮りためてきた ヒンドゥ建築のカラー写真の中から 26点を選び、16ページにわたって挿入することにした。それによって本文の理解を助けるとともに、いまだ現地に行ったことのない読者にも、その臨場感をもっていただけるのではないかと思う。
また白黒写真においても、ゲラ刷りの結果、原版の写真原稿がきわめて不十分なものであることがわかり、急遽半数以上を訳者の写真に置き換えさせてもらった。さらに用紙の紙質を原書よりも上等なものとし、脚註も豊富につけた。こうして本書は原書よりもずっと内容の充実した、立派な版となった。
今まで わが国でもインドの美術や建築、そして遺跡などの書物は 少なからず出版されているが、そのほとんどが 仏教を中心としたものであって、ヒンドゥの造形芸術を紹介したものは ごく少ない。しかしインドが仏教国であったのは古代のことであって、中世このかた 現代に至るまで、その宗教的よりどころは 主としてヒンドゥ教にあり、美術・建築もまた ヒンドゥ教を中心に展開してきたのである。私たちがアジアの文化に接していく上で、ヒンドゥ教の文化は無視できないどころか、その理解なくしては 国際交流をすることもできないであろう。
そうした意味で本書が、今まで欧米にばかり顔を向けてきた日本の建築界の視線を、少しでも南アジアの偉大な建築文化に向けてもらう きっかけになればと思う。そしてまた本書が、一般の方のインドの旅の伴侶として、インド文化への案内(チチェローネ)の役割を果たせれば、訳者として喜ばしい限りである。
アジア各地の紛争が一日も早く解決し、人々に平和がもたらされることを祈りつつ。
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