● 彰国社の 『 都市史図集 』(都市史図集編集委員会 編集、1999年発行)には、

・「 インドの宗教都市 」     図版 61ページ、 説明 207ページ
・「 伝統的都市−1,北インド 」 図版 62ページ、 説明 208ページ
・「 伝統的都市−2,南インド 」 図版 63ページ、 説明 209ページ

の3項を書きましたが、ここには 「インドの宗教都市」 のみを掲載します。


『都市史 図集 』 彰国社、1999年、61ページ、「宗教都市」


宗教都市

神谷武夫(建築家)

1 ナーランダー(仏教)/Nalanda/ビハール州/インド/5〜12世紀
古代にインドの支配的宗教となった仏教は、僧院を中心として学問や芸術も大いに発展させた。各地にできた仏教センターのなかでも 最も大規模なのがナーランダーで、中国僧の玄奘も留学した「大学都市」であった。広大な土地の東側に、焼成レンガ造の 10の大僧院(ヴィハーラ)が ほぼ一列に並び、大通りをはさんだ西側には 礼拝所としての寺院や大ストゥーパが並ぶ。最盛期には 数千人の学僧がいたというから、彼らの生活を支えるための さまざまな都市施設が、おそらく木造や日乾しレンガ造で、中央大通りに沿って 建ち並んでいたろう。5〜12世紀に栄えたが、仏教の衰退とともに放棄され、廃墟となった。

2 シャトルンジャヤ(ジャイナ教)/Satrunjaya/グジャラート州/インド/15世紀以降
仏教と同時代、同地方に生まれたジャイナ教は、その最大の教義である アヒンサー(非殺生、非暴力)の徹底と 苦行主義を特徴とする。教徒は殺生を避けるため ほとんどが商業に従事し、その財で寺院を寄進するので、信者数に比べて 非常に多くの寺院を擁している。特異なのは、聖山の上に 数多くの寺院を建て、都市のような姿をとることである。そうした「山岳寺院都市」の代表が、西インドのパーリターナの町の近くの シャトルンジャヤ山である。ここには中世から近世にかけて 920にも及ぶ堂塔が 南北の峰とその間の谷部に建てられ、類のない都市景観を作っている。寺院以外に 住居も店舗もまったくなく、僧侶も巡礼者も 夜明けとともに山に登り、夕方に下山する。山道が危険な雨季には、閉ざされて ゴーストタウンとなる。寺院群は「トゥーク」と呼ばれるクラスターごとに 高い塀で囲まれ、要塞化している。南峰は 全体がひとつのトゥークを形成し、そのメインストリート沿いの街並みは、地中海の集落を思わせる。

3、4 シュリーランガム(ヒンドゥ教)/Srirangam/タミルナードゥ州/インド/13世紀以降
南インドでは チョーラ朝が滅びたあと 寺院形式が大きく変わり、偉大な本堂(ヴィマーナ)が建てられなくなる。代わりに本堂を塀(プラーカーラ)で囲み、付属施設を建てては また塀で囲み、ついには 何重にも囲んだ塀の中に 街並みまで取り込んだ「寺院都市」をつくるに至った。高く要塞化した塀には 四方に出入り口が設けられ、ゴプラと呼ばれる寺門が建てられる。時代が下るほどに 外周壁もゴプラも高くなり、小さな本堂は 見えなくなる。そうした寺院都市の代表が ティルチラーパリの近くの シュリーランガムにある、ヴィシュヌ派のランガナータ寺院である。13世紀に始まって 今もなお拡大が続き、7重目の周壁の南ゴプラは 1987年に完成し、高さは72mに達する。もともと イスラム勢力の南下に備えて 要塞化したのであろうが、周壁に囲まれた「都市」の大きさは 63ヘクタールもある。塀と同じように矩形をした道路は 両側に店舗や住居が並び、祭礼時の行列の 行進路の役割も果たした。大きな建物は 純然たる宗教建築ばかりでなく、住民のための集会や教育、音楽や舞踊の施設までを含んでいる。

5 アムリトサル(シク教)/Amritsal/パンジャーブ州/インド/1577以降
シク教の総本山である ダルバール・サーヒブ(黄金寺院、ハリ・マンディル)のある聖都で、イスラム教徒にとってのメッカに相当する。それまでの小村が 第4代教主ラーム・ダースによって シク教の町とされ、寺院は 1577年に第5代アルジュンによって創建された。以後、寺院をとりまく「甘露の池」を意味するアムリタ・サロヴァルが町の名前となって発展し、黄金寺院を中心として 道路が放射状に通り、都市全体が市壁に囲まれた。1819年には 藩王ランジート・シングが市壁の西側に要塞を、北側にラーム庭園を造った。図は、シク王国がイギリスとの2度にわたるシク戦争に敗れて 植民地となった 1849年の状態を示す。

6 バゲルハート(イスラム教)/Bagerhat/バングラデシュ/15〜16世紀
ベンガル地方がイスラム圏になったのは 13世紀であったが、海側のスンダルバンの大湿地に 重要な都市がつくられたのは 15世紀前半である。イスラム神秘主義のスーフィー聖者でもあった 武将のハーン・ジャハーン・アリーが 配下の者を引きつれて入植し、ハリファターバードという町を開くと、交易都市として栄えた。ここには 360ものモスクが建立されて「モスク都市」とも呼ばれる 聖都となった。しかしハーン・ジャハーンが没すると 聖廟が建てられて巡礼地となったものの、町はさびれた。そしてバイラブ川が流れを変えると 港町としての機能も失い、今は 新しいバゲルハートの町の郊外の都市遺跡となっている。

7 オールド・ゴア(キリスト教)/Old Goa (Goa Velha)/ゴア州/インド/1510〜1759
1510年、ポルトガルの艦隊が ムスリムのゴアの町を破壊して占領し、ポルトガルの 対アジア貿易と キリスト教宣布の基地とした。マンドヴィ川に面する町は リスボンを模して再建されて「黄金のゴア (Goa Duorada)」とうたわれるほどに栄え、16世紀末には 60にも及ぶ教会堂や修道院を擁した。しかし17世紀には コレラやマラリアに冒されて衰退し、町は8km離れた パナジに移された。廃都となったオールド・ゴアは ただ聖堂や修道院だけが残る 都市遺跡となったが、聖人に列せられたフランシスコ・ザビエルの遺体が ボム・ジェズ聖堂に安置されていて、今もインドにおける キリスト教の聖都となっている。