『 新建築 』 1976年7月号、113ページ、新建築社
「海外ネットワーク 」欄での インド紀行
( 写真は、ブリハディーシュワラ寺院のゴプラムと、
ミーナクシ寺の南ゴプラム )
神谷武夫 3年半 かかりきだったフロム・ファースト・ビルの竣工を機に、山下和正建築研究所を退職して、1月半ばから3カ月間の インド方面の旅行に出ました。インドを選んだのは、今までの自分を含めた 日本の 欧米志向に 抵抗を感じはじめたのが理由で、インドの旅は まさにその期待にたがわず、アジアには ヨーロッパに優るとも劣らない文化が存在していたことを 実感させてくれました。タイとネパールの 各1週間を除いて、インド国内に2ヵ月半を費やしたのですが、インドという国は あまりにも広く、また あまりにも古い歴史をもち、その期間でインド中をまわるというのは無謀であったようです。とはいっても、仕事の関係で 旅の出発時期が限定され、また4月からインドは夏となって 旅行不可能の暑さとなるので、限られた2ヵ月半で 最大限インドを駆け巡って 建築を見てきたわけです。
一般的にいって、日本人は ヨーロッパやアメリカについては 実に多くのことを知っているわりに、インドに対しては 無知に近い状態のようです。私の大学時代にも インド建築史を教えられた記憶がありませんし、旅行のために インド建築関係の文献をさがしても、その現状は お寒い限りという他はありません。それだけに インドの旅はすべてが珍しく、毎日が 新しい驚きと発見の連続 という感じでした。
インダス文明を建設したと言われるドラヴィダ民族は、インド・アーリヤ人の侵入によって 南へ押しやられ、現在のタミル・ナドゥ州に定住したのですが、中世になって ここで花開いたのが、南方型(ドラヴィダ様式)といわれる ヒンドゥ教寺院の数々です。とりわけ旅行者の眼を奪うのは 各寺院のゴプラム(門楼)であって、はじめて見るその異様な姿には肝を抜かれます。南方の強い陽ざしのもとに、椰子の木に囲まれて建つゴプラムの姿こそ 南インドの象徴といえましょう。 ゴプラムの原型というべき建築は カンチープラムのカイラサナータ寺院などに見ることができますが、ゴプラムとしてのスタイルが完成した 初期のものは、11世紀の建立といわれる タンジョールのブリハディーシュワラ寺院のものが優れています、背の高い本殿に対して このゴプラムの全体のプロポーションは ずんぐりして低層ですが、その造形は 孔雀をイメージしたのではないかと思えるほど、古拙でいながら 華麗です。後の時代に失われていく 大らかさや躍動感が、建築ばかりでなく 彫刻にもみなぎっています。
南インド最大の巡礼地 マドゥライのミーナクシ寺院では 巨大なゴプラムが9本も建ち並んで まことに壮観ですが、その造形自体は タンジョールのものと対照的です。時代が下るとともに、本殿は小さくとも ゴプラムは高く高く聳え立ち、ミーナクシ寺院の南ゴプラムは 50メートルにも達しました。頂上に登って棟石にまたがり、鴟尾(しび)と対座すると 少々 眩暈(めまい)がするほどですが、矩形の壮大な敷地内に 次から次へと増築して寺の規模を大きくしてきた跡が 手に取るようにわかります。
かみやたけお 1946年生まれ
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