遺跡

『旅行人』 1999年 12月号特集 「旅のショートエッセイ 100本勝負!」

神谷武夫

スーリヤ寺院の廃墟、1976年の夜景、コナーラク

 遺跡というのは 何であれ人類の行為の跡をいうのだろうが、土地に密着した物理的な遺物がなければ 遺跡とは呼ばない。建築家にとって それは、かつて絢爛と飾られた建物が 何らかの原因で放棄され、無常なる荒れ果てた姿を今に残す「廃墟」なのであって、そのイメージは 昔の探検小説や冒険映画に出てくるような、南洋のジャングルの奥深く眠る 石積みの壮大な神殿建築でなければならなかった。
 ありし日には そのまわりに煌々と かがり火がたかれ、太鼓と銅鑼(どら)の轟く中を 松明(たいまつ)を持った男たちが行進し、きらびやかな巫女たちが舞い狂う といった、オリエンタリズムを絵に描いたような場面に 聳えたはずの神殿である。私が最初に訪ねた そんなイメージの遺跡は、インドのコナーラクに残る 太陽神の神殿(スーリヤ寺院)であった。
 今を去る 24年の昔、初めての海外一人旅の 不安な第一歩を カルカッタのダムダム空港に印してすぐ、その日の夜行列車でコナーラクの小村へと急いだのは、ヤシの木のジャングルに囲まれた 広い境内に、本堂が崩れ去りながらも なお、おびただしい神々の彫刻と共に残る 壮大な拝堂の廃墟を見るためであった。
 森閑とした境内に立って その古代的な光景に恍惚としていると、はだしで真っ黒に焼けた 古代的な少年が 声をかけてきた。彼はルピアと名乗り、料金は1ルピーでいいからと 境内の案内をし、別れ際に「ルピア・ガイドを忘れないで!」と叫んだものだった。

 それから 20年後に 再び訪れたコナーラクには、もう かつての遺跡のイメージはなく、土産物屋が並ぶ 騒がしい観光地に変じていた。暑いのに 背広を着てネクタイをしめ、口髭をたくわえた中年紳士が、ガイドはいらないか と言うので、ふと「あんたは ルピア・ガイドを知らないか」と尋ねてみたら、何と「ルピア・ガイドは私です」と言うのであった。