白夜書房の旅行誌 『NEUTRAL』 第 7号 2006年 5月26日発行、106-7ページ


TRADITION OF RELIGEOUS ARCHITECTURE IN INDIA

『 インドの宗教建築 』

(写真のキャプション 各300字)


ジャイナ教 ラーナクプル
アーディナータ寺院 Adinatha Temple、1439年

インドの建築において、内部空間の魅力を実現したのはジャイナ教の建築、とりわけラーナクプルの大寺院だ。正方形に近いマンダラのようなプランの寺院は3階建てで、高く低くドーム天井がかかり、その間から入る光が、床以外のいたる所の彫刻を照らし出す。すべての空間は連続して回遊性をもち、いくら歩き回っても飽きることがない。ジャイナ教がこうした寺院を生み出したのは、祖師(ティールタンカラ)の像を4体背中合わせにした四面像を本尊にしたことによる。それに合わせて聖室が四方に開かれた四面堂になり、四方に広がるマンダラ的なプランの寺院を可能とした。外観の彫刻性もおこたりないこの偉大な寺院こそ、インド建築の最高傑作といえる。


ヒンドゥ教 ガンガイコンダチョーラプラム
リハディーシュワラ寺院 Brihadishwara Temple、11世紀半ば

インド人はすべての造形芸術の中で最も彫刻を好んだので、建築をも一個の彫刻作品のようにつくろうとした。中世のそうした彫刻的建築は大きく北方型と南方型に分けられるが、南方型のヒンドゥ寺院の最高傑作がガンガイコンダの寺院だ。チョーラ朝のラージェンドラ1世が建立したので、当初はラージェンドラ・チョーリーシュワラ寺院とも呼ばれた。本堂の塔状部は水平層が幾重にも積み重なり、頂部に大きな冠石を戴いている。高さが60mに近い高層建築だというのに、全体の輪郭が描く緩やかなカーブによって、実に優美な石造建築となっている。シヴァ神を祀るシヴァ派の寺院なので、本尊にはシヴァ神の象徴たる大リンガ(男根)が据えられている。


仏教 カールリー
チャイティヤ窟(石窟寺院)haitya Cave at Karli、120年頃

古代インドに主流だった木造建築はほとんどが失われてしまったが、岩山を掘削してつくった石窟寺院は、その堅固さゆえに約1,200が残っていて、約75%が仏教窟である。石窟には僧侶が住んだ僧院としてのヴィハーラ窟と、礼拝堂としてのチャイティヤ窟の2種類があり、後者の最高傑作がカールリーのチャイティヤ窟だ。まだ仏像というものが作られなかった時代、本尊は仏舎利を祀るストゥーパだったので、堂の平面は前方後円形をしていた。堂内には2列の柱が立ち並び、ストゥーパの後ろでつながりあっている。各柱の上には象に乗る男女のカップルが彫刻されていて、まっすぐ前を見ながら肩を組む姿が、当時の希望に満ちた未来を象徴しているようだ。


イスラム教 デリー
マユーン廟 Mausoleum of Humayun、1565年

外来のイスラム教の礼拝堂はモスクといい、中東のモスクは中庭を囲む内向きの建築で、あまり外観というものがなかった。彫刻好きなインド人にとって、これは満足できるものではなかったので、インドのイスラム建築においては、彫刻的建築としてつくりうる墓廟の方が発展した。最も有名なのはタージ・マハル廟だが、ムガル朝の廟建築の原型を創造したのは、むしろ第2代皇帝・フマユーンの廟だ。それは四分庭園の中央の壇上に、四面が同じ姿をした廟を彫刻的に建てる。白大理石のドーム屋根の周囲には、小ドームを4本柱で支えたチャトリ(小塔)が立ち並ぶ。まるで木造のようなチャトリこそ、インドのイスラム建築を一目でそれと見分けさせる建築要素である。


シク教 アムリトサル
リ・マンディル(黄金寺院)Hari Mandir (Golden Temple)、1764年以降

ヒンドゥ教とイスラム教の長所を融合させて近世に生まれたシク教は、固有の建築的伝統を持っていなかった。そこで採用したのがムガル朝の宮殿建築のスタイルだったので、シク教の礼拝堂であるグルドワーラーは、一見宮殿のような印象を与える。本山のアムリトサルでは聖なるハリ・マンディル(神の寺院)が金箔で荘厳されたので、黄金寺院とも呼ばれた。大きなアムリタ・サロヴァル(甘露の池)に浮かぶように建つ黄金寺院の姿は、信者にとっては天上の楽園だ。イスラムと同じように偶像崇拝をしないので、神々の絵や彫刻というものを本堂に祀らない。そして堂内には暗い所、閉じられた所がまったくなく、万人皆平等という理念をよく表している。