まちなみ建築フォーラム 』創刊準備号
1997年7月 創刊準備号 14-19ページ「インド建築へのいざない」

「インド建築へのいざない」の 扉
ラーナクプルのアーディナータ寺院、メガナ-ダ・マンダパ見上げ



インド建築へのいざない

神谷武夫(建築家)

インドの人口は 最近 10億を超えたという。「悠久なるインド」も6年前に経済を開放して以来、急激な変化を迎えているが、古い歴史と広大な国土をもつだけに、その建築遺産には 膨大なものがある。ユネスコの「世界遺産」に登録されたものだけでも、タージ・マハル廟をはじめとして 現在16ヵ所を数えるが、これからも 続々と登録されていくだろう。気軽に海外旅行をするようになった日本人は、最近は欧米だけでなく、アジアへと足を向けるようになった。インドの建築文化は、これからいっそう注目されるに違いない。

古代の仏教寺院は ほとんど残っていないが、
オ東インドのリッサ地方には ウダヤギリの僧院跡があり、
密教期の仏像も 数多く発掘されている。9-10世紀

われわれにとって インドは、何よりもまず、仏教の故郷としての 親しいイメージがある。けれども 古代に支配的宗教となった仏教は、次第にヒンドゥ教に押されて、13世紀にはインドから姿を消してしまった。古代インドには 今よりも木材が豊富であったから、全国に建てられた仏教寺院は 木造、あるいはレンガ造であったために、今に残るものは ほとんど無い。旅行者の目を驚かせる古代遺産は、石窟寺院と石彫寺院である。初めは 出家者たちが住む横穴式の洞窟であったものが、次第に木造寺院を模して 柱や梁を彫り残した建築的な内部空間となり、ついには 岩山を上から彫って寺院の外形を彫刻し、内部に部屋を備える「石彫寺院」をも生んだのである。

古代から中世への橋渡しをするのが、岩山を彫刻した
南石彫寺院である。インドのマハーバリプラムには
小規模で未完成の石彫寺院が いくつも残っている。
ピダーリ・ラタ (7世紀)

中世インドでは 石造建築が大々的に発展し、いたる所に 石造のヒンドゥ寺院が建てられた。その様式は 大きく「北方型」と「南方型」に分けられ、特に聖室(ガルバグリハ)の上に建てられる 塔状の部分(シカラ)が 形を異にしている。それらを 南と北に大別しても、広い国土なので 地域による相違があり、さらに 時代による変遷があるので、多くのヴァリエーションを生むとともに、数々の傑作を残した。
13世紀には デリーにイスラム政権が誕生し、とりわけ 16世紀からのムガル朝は インドに特有のイスラム建築を 発展させる。それまでの 神々の彫刻で満ちたヒンドゥ寺院とは異なり、偶像崇拝を否定するイスラム教は、純粋に幾何学的な建築造形で モスクや廟を石造で建てたのである。

西方からイスラム建築がもたらされると、彫刻のない、
建幾何学的な築構成がインドに定着する。デリーのフマユーン廟は
赤砂岩の本体と 白大理石のドームで造られ、ムガル朝の
廟建築の形式を 決定した。1565年

ムガル朝が弱体化すると、次第にヨーロッパの植民地とされ、洋風のコロニアル建築が 全国に建てられる。初めは ヨーロッパの丸写しであったものが、次第にインドの伝統建築の様式を取り入れた 折衷的なものとなり、これを「インド・サラセン様式という 奇妙な名で呼ぶようになった。

このように、現在見ることのできるインド建築の歴史をたどると、それは 石造建築の歴史となってしまうのであるが、実はインドにも 連綿と続く木造文化圏がある。それは北のヒマラヤ地方と、それとは飛び離れた 南インドのケーララ州である。それらは 地理的条件と宗教との組み合わせによって、多様な木造技術と表現を生んでいて、われわれ木造文化の民にとっては 興味が尽きない。そうしたインドの木造建築のいくつかを 今回は写真で見ていただき。次回から 順次詳しく訪ねていくことにしよう。

 ヒマラヤ山脈の中腹地方であるヒマーチャル・プラデシュ州は、
ヒマラヤ杉や松で覆われているので、民家も寺院も 木造で建てられてきた。
カムルのバドリナータ寺院は、山上の村の頂部に さらに高く寺院等を 聳えさせている。