< CENTER>カ-サ・ブルータス の『建築東京
2005年 3月号特集 「そろそろインドに呼ばれてみませんか」
インドとモダニズムの邂逅

『 カ-サ・ブルータス 』2005年3月号「インドとモダニズムの邂逅」
写真の無い、文字だけの1ページの記事


ENCOUNTERS WITH MODERNISM

『 カ-サブルータス 』

マガジンハウス発行 2005年3月号、
特集「そろそろインドに呼ばれてみませんか」
インドとモダニズムの邂逅

神谷武夫


この記事は、『神谷武夫とインドの建築』のサイトにおいて
「インドとモダニズムの邂逅」として、多くの写真を補って
<掲載してありますので、ここをクリック して ご覧ください。




『 カ-サ・ブルータス 』という雑誌が 2005年3月号で、「そろそろインドに呼ばれてみませんか」という特集をするので、原稿を書いてほしい、インタビュー記事も載せたい、と前年12月に言ってきました。12月17日に編集部の 高木氏が来宅して1時間半 打ち合わせ、12月30日に 副編集長の松原亨氏よりFAX、明けて1月7日に松原氏と高木氏が来宅して2時間近く打ち合わせ、1月11日にEメールで原稿依頼状が届きました。その冒頭部分は、

ブルータス 「インド特集」 松原班 企画構成
*** モダニストはなぜインドに集まったのか *** 12p
[チャンディガール。 ル・コルビュジエからすべてが始まった。] 4p 
 テキスト:神谷武夫氏による概説。

ころが、マフィアが 電話盗聴やメール盗聴をするや、出版社に圧力をかけたので、編集部は たちまち 手の平を返し、原稿は文書で依頼したので 載せないわけにはいきませんが、しかし4ページの企画を1ページにし、しかも写真は ただの1枚も載せず、インタビュー記事も掲載せずに、上のような、ぎゅう詰めの文字原稿だけの1ページの記事で 済ませました( 私が写真を けちったわけでは ありません)。これでは 読者は、あまりよく理解できなかったことでしょう。

ヴィジュルな雑誌が、私にインド建築について 文字原稿だけ依頼して、全く写真を借りない などということは、普通 あり得ないことです。『 カーサ・ブルータス 』は、たしか 意欲的な女性の編集長だったと思いますが、彼女も 上司の命令に 逆らうことはできずに そうしたのでしょう。私の HP 上の「インドとモダニズムの邂逅」では、多くの写真を補って 掲載しておきましたが。




この HP の中の 「原術へ」のページの 「解題」 の一番下のほうに (「終わりに」として)Mホームの例を書きましたが、私のところに原稿依頼なり 講演依頼なりがあると、電話やメールの盗聴をしているマフィアは、たちまち その 妨害工作 をします。何らかのルートを通じて、その依頼主の組織に圧力をかけるのです。 圧力をかけられた 出版社なり団体は、その後 連絡をよこさなくなったりして、その依頼を反故にしようとします。圧力は、たいてい 担当者にではなく、組織の上層部(社長なり 館長なりに)かかり、担当者は、わけもわからず その命令に従わねばならないので、真面目な人であれば、良心の呵責を抱くことになります。 それが、ある程度名の通った組織や会社であれば、私に問いただされると、その公表をおそれて、見え透いた嘘をついて言い訳をしながら、最初の依頼を やむなく、ある程度 実行することになることが多いですが。