『週刊 朝日百科』 ラージャスターン、2002年 10月 <第 46号
「デリーとアーグラー、ムガル帝国の栄華と愛の記憶」、20ー21ページ

 

ラージャスターンの都市を訪ねて

「砂漠に浮かぶ栄華の記憶」

文・写真 神谷武夫

 デリーから少し足を伸ばして、一般の人のインドのイメージに一番近い所を訪ねてくるには、西インドのラージャスターン州に行くのがよい。そこには タール砂漠ともインド砂漠とも呼ばれる、インドで最も広い砂漠があり、乾燥した気候の平原の中に 点々とラージプートの都市が連なっている。
 ラージプートというのは、5世紀以降に西方からきた種族と土着の種族が混交して、古代クシャトリヤ(武士階級)の子孫と称した尚武の民である。その勢力は 中世に中インドまで広がって 多くのヒンドゥ王国を生んだが、13世紀にデリーにイスラム政権ができると、次第にイスラム軍に征服されてしまった。アクバル帝による寛容政策が行われると、西インドのラージプート諸侯は ムガル朝に臣従しながら、ヒンドゥ教を信仰する 半独立王国を形成していった。ここに イスラムとヒンドゥが融合した インドの近世文化の 最も華やかな姿が展開することになる。
 彼らの住む土地は ラージプターナ(ラージプートの土地)ともラージャスターン(王の国)とも呼ばれ、後者が 現代では州名になっているのである。

 州都のジャイプルは デリーにも近いので、アーグラとあわせて「黄金の三角形」として 多くの観光客が訪れる都である。「ピンク・シティ」という別名をもつのは、ジャイ・シング一世が18世紀に新都市を計画して以来、碁盤目状の都市を構成する ほとんどの建物が赤砂岩で建てられるか、あるいはピンクがかった茶色に塗装されてきたからである。インドに珍しい 整然とした幾何学的な都市の中央に 王宮地区があり、ここに有名なハワ・マハル(風の宮殿)やジャンタル・マンタル(天文観測所)が建ち並んでいる。英明なジャイ・シング王は科学、とりわけ天文学に通じ、1734年に天文観測所の建物群を 20世紀的な造形で建造したのである。

ジャイプルの近くには アルワルやディーグなどの宮廷都市があり、その南部には 古都チトルガルや 水の都ウダイプル、西部にはタール砂漠を囲んで 強力なジョードプルやビーカーネル、そして砂漠の中央には 最も魅力的な砂漠都市 ジャイサルメルがある。いずれも ヒンドゥ教を奉じるラージプートの都市で、ムガル朝に滅ぼされて廃墟になってしまった チトルガルを別にすれば、今では多くの都市で マハーラージャ(藩王)の宮殿や離宮が ホテルとなっているので、宮廷人になった気分で 近世の宮殿建築を堪能することができる。

砂漠の中に忽然とあらわれるジャイサルメルの町では すべての建物が地面と同じ黄色の 砂岩で建てられ、しかも宮殿といわず 寺院といわず、民衆の住居にいたるまで ファサードが細密に彫刻されている。強い太陽光に照らされた 黄砂岩の彫刻が織りなす光と影の都市風景は、町の中央に聳え立つ丘の城砦とあいまって 忘れがた 砂漠の中の隊商都市としての栄華を 今に伝えているのである。


写真キャプション

1. ピンク・シティという通称をもつ ジャイプルの町の直線状の大通り。赤砂岩とピンク色に塗装された建物が整然と並ぶ中で 人目をひくのは、1799年 すべて装飾的な窓からなる この宮殿は、宮廷の女性たちが 街を眺めおろすためのもので、外からは 自分の姿を見られないようになっている。

2. ジャイプルの藩王ジャイ・シングが 宮廷地区に 1734年に造った ジャンタル・マンタル(天文観測所)には、現代的な造形の 巨大な観測儀群が並んでいる。ひときわ高く聳え立つのは サムラート・ヤントラと呼ばれる 赤道儀、日時計である。

3. ディーグ藩王国の宮殿は ムガル朝のイスラム庭園と建築の影響を受け、四分庭園を囲んで 幾何学的に配置されている。両端部の大きなサーガル(人造湖)では 女たちが洗濯をしている。

4. ジョードプルのメヘランガル城から 城の端部と町の一部を見下ろす。近年、市街の住宅が 青く塗装されるようになり、ジャイプルのピンク・シティに対してブルー・シティになりつつある。

5. ビーカーネルの町のジュナーガル城には 広壮な宮殿が中庭群を囲みながら 連なっている。一番奥のアーヌープ・マハル殿は、ラージャスターンの近世の宮殿建築に典型的な 黄金のインテリアを見せてくれる。

6. タール砂漠の中で最大のオアシスが ジャイサルメルの町である。トリクータの丘に聳える 壮大な城塞(シタデル)が印象的で、12世紀につくられた当時は 城内町で足りたが、次第に人口が増えて、周囲に城下町が発展した。

7. ジャイサルメルの市街の建物は 宮殿といわず、寺院といわず、民家にいたるまで すべて地面と同じ 黄色い上質の砂岩で建てられ、そのファサードが華麗に彫刻されているので「黄金の都市」とも称される。大きな邸宅は ハヴェリーと呼ばれるが、最大のハヴェリーが ジャイナ教徒の商人による、このパトウォンのハヴェリーである。