NIKKAN INTERVIEW

神谷武夫先生へのインタビュー

インタビュアー:佐藤雅子(インド舞踊家)

(「日刊インド・ビジネス」2003年10月14日号より)

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 1996年9月、TOTO出版より、全インドの 612の建築物を紹介した、オールカラーの「インド建築案内」が出版されました。 著者は、建築家の神谷武夫先生、20年間に亘ってインド建築を研究された集大成は 国際的にも高い評価を受け、2003年、「インド建築案内・英語版」(" The Guide to the Architecture of the Indian Subcontinent " )が、インドで発行されました。
 プレス・リリースは、9月3日に、インド政府の文化・観光省により ニューデリーのアショカホテルで行なわれ、その後、9月13日には ムンバイで出版記念会が開催され、各地でたいへんな話題を呼んでいます。今回のインタビューは、日本でインド建築についてのご研究をしていらっしゃる わずかな一人である神谷先生に、インド建築についてのお話をうかがいました。


----------------------- 神谷先生 談 -----------------------

 1970年代初頭、日本の建築界で活躍する建築家の間には、アメリカやヨーロッパに留学し、設計事務所で 1‐2年間働いた後に、日本に戻って事務所を開設して、欧米の最新流行の建築物を造る ということが流行していました。
 当時、私は、東京芸術大学の美術学部・建築科を卒業後、山下和正建築研究所に入り、青山の フロムファースト・ビル の設計を担当していましたが、アジア的感覚がすっぽりと抜けてしまう建築界の風潮に 多少の反発を覚えていました。何かアジア的な新しいものを作ることはできないか? と、考えていたところ、「インド」という国が突然頭に浮かびました。
 子供時代に親しんだ 花祭りや三蔵法師、手塚治虫の漫画など、仏教を通じたものが日本の文化に根付いていること、敬愛する埴谷雄高や高橋和巳が インドのジャイナ教に興味を持っていたこと、当時はFM放送が始まった頃で、小泉文夫による「NHK世界の民族音楽」を聴いて日本人の若者がインドに行き始めていたことなどが重なりました。

 早速インドに関する文献を集めましたが、仏教の本は多いものの、建築に関する本はほとんどなく、観光ガイドブックも インド、ネパール,スリランカを一緒にした薄い本一冊のみ。とにかくこの目でインドの建築物を見なければならないと、フロムファースト・ビルの竣工後、事務所を辞め、1975年1月に、3ヶ月の滞在予定でインドの地を踏みました。

 当時一番安かったのは、エア・サイアムという タイの航空会社でした (当時は エア・インディアは高級航空会社でした)。これに乗ってバンコクまで行き、カルカッタまでの往路を購入して、カルカッタ空港に降り立ったのですが、乞食や物乞いをする子供、悪臭、汚さにたいへんなカルチャーショックを受け、すぐに日本に戻りたくなってしまいました。
 が、「ここで戻っては男の沽券に関わる」と、その夜、夜行列車でブバネーシュワルへと向かいました。 しかし、お祭りでホテルが空いておらず、さらにコナーラクまで足をのばしてトゥーリスト・バンガローに宿をとり、初めてのインドの夜を過ごすことになりました。
 翌日にはインドにも少し慣れてきましたが、1週間も経つと、ビックリ仰天するようなことが連続して起こるインドがおもしろくてしょうがない と思うようになりました。苦労して現地まで辿りつくと、突如として思いもよらぬ凄い建物が 忽然と現れるのです。

 「何でも 人と同じことをしなければならない」日本に比べ、「思いのままでOK」 というインドは、どんな格好をしてもOK、自己主張をして波風をたててもOK、「生きていること」をまったくもって実感でき、次から次へと新しい発想が沸いてきました。
 3ヶ月後に日本に戻りましたが、この時のインド旅行はたいへんなインパクトを与え、さらに深くインド建築を調べてみようと思ったのです。

 インドに史跡として現存する建築物は、古代の仏教建築、中世のヒンドゥ教やジャイナ教の建築、近世のイスラム教建築に大まかに分類されます。
 ヒンドゥ教の建築は、建物全体をあたかも彫刻作品のようにつくる「彫刻的建築」で、素晴らしい装飾とともに、その外観が見る人々を圧倒しますが、内部の空間は狭く、薄暗くて、あまり 魅力があるとはいえません。
 イスラム教の建築は、外部の表現よりも、内部空間を素晴らしく作るということに重点をおいた「皮膜的建築」です。
 対して、日本におけるような木造建築は、外観を彫刻的にしたり 内部空間を囲みとったりすることよりも、柱と梁の架構だけを残して 内外の空間を連続させる「骨組み的建築」です。
 一方、西インドに多く現存するジャイナ教の建築には、それら三つの性格の建築を一つに統合しているものが見られ、表情豊かな魅力に溢れています。

 インドで最も有名な建築物であるタージ・マハル廟は、イスラム教を絶対視した シャー・ジャハーン帝によって建設されました。もっぱらペルシャの建築要素で造られた このイスラム建築は 純粋なインド建築とはいえませんが、外観を重視したがゆえに、イスラム建築でありながら 皮膜的建築であるよりは 彫刻的建築となっています。 内部空間は比較的単純で「謎」や「影」というものが無く、やや魅力に乏しく感じられます。

 インド建築の代表として私が一番に挙げたいものは、西インドのラーナクプルにある ジャイナ教の「アーディナータ寺院」です。内外部を装飾する彫刻の造形美は ヒンドゥ寺院のそれには及びませんが、寺院全体の壮麗さは他に追随を許しません。それは、先ほど述べた、三つの建築形式の総合性からきています。
 ウダイプルから車で4時間の山中にあり、あまり知られていない寺院ですが、訪れるたびに感動を覚えます。インド建築の 最高傑作でしょう。

 インドでは、「宗教」が建築の発展に多大な寄与を及ぼしてきました。 ヒンドゥ教のお寺は、「神の住まい」として造られています。寺は、擬人化された神が住まう場所であり、人々がそれを礼拝し、お供えをし、もてなす場所として作られていますので、「聖室+拝堂」という、極めてシンプルな構成をしています。
 これに対し、ジャイナ教の寺は、聖人が教えを説く場所として造られています。より多くの民衆に救いを与えることができるよう、本尊(聖人)は 4体が背中合わせになっている チャトルムカ(四面像)となることが多く、その場合には 四方に伸び広がる曼荼羅的な寺院構成になります。

 ジャイナ教から発したこの曼荼羅的プランの寺院建築は 仏教にも大きく影響を与え、バングラデシュから東南アジアへと伝わり、アンコール・ワットにまで その影響を及ぼしました。 数百年をかけて、インドから東方へ発した文化の変遷の 壮大な歴史を感じずにはいられません。

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 2003年 6月 25日、東京都北区にある 神谷武夫先生の建築研究所を訪れました。インドやイスラムの建築関係の出版物で埋め尽くされた事務所の壁面から、神谷先生は、「ごく珍しい書籍」として、今から 170年前の 1834年に出版されたという ラームラーズの著した ヒンドゥ建築論を取り出して見せてくださいました。
 中を拝見すると、とても石版画とは思えない緻密な寺院建築の図面や鳥瞰図、外観などが美しく印刷されており、イギリス統治時代の 先駆的なインド人の素晴らしい仕事に たいへん驚かされました。

 今から7年前に発行された「インド建築案内」には、神谷先生がそれまで 20年間に渡って撮影した2万枚もの写真の中から 1800枚が選ばれ、収集した資料の中から 300枚の地図と図面が使用されています。既に初版1万部、第2版 5,000部が売り切れ、第3版がこの春に刊行されました。

 神谷先生が、仕事の合間に取り得る限りの 長期休暇を取られ、行かれたという「インド建築行脚」は、既に十数回を数えられるそうですが、心に深く残っていらっしゃるのは、やはり、初めてのインド旅行。
 カルカッタから入り、東→南→北上→西→最北 といった旅順で 各地を廻られたそうですが、ジャイプルを訪れた際、その南に位置するサンガーネルという村への道を リキシャで往復した時のことが 今もって記憶に鮮明に残っていらっしゃるそう。
 果てしなく続くように思われる小道を 滑るように進むリキシャから上方を見上げると、木々の緑のアーチから木漏れ日が洩れ、その他は、時折牛車と行き交うだけといった牧歌的な情景。それまでの3ヵ月近くにわたるインド各地の旅の思い出が 走馬灯のように頭の中に浮かび上がり、うっとりと 至上の恍惚感を感じられたそうです。

 ラーナクプルのアーディナータ寺院を インドで最も優れた建築と絶賛していらっしゃる神谷先生の、その他のお薦めのインド建築は、北インドのヒマーチャル・プラデシュにある木造寺院群。多雨で緑が多く、また複雑な地形から 観光化が殆ど行われていない ヒマラヤの山岳地帯は、他地域とは異なる文化を呈示し、建築学的に見ても たいへん興味深いのだそうです。
 日本では見ることのできない「石彫寺院」では、エローラーのカイラーサ寺院を、「世界の七不思議の 1つに数えられるほどの巨大な手彫り寺院」、ムンバイとプネーの間にある カールリーのチャイティヤ窟を「仏教の石窟寺院としては最高傑作、内部空間が素晴らしい」と絶賛されています。

 お好きなインド料理は、タンドーリ・チキンとバター・ナーン。インドに行くと必ず各地で召し上がるそうです。 お薦めは コルカタのリットン・ホテルの ビーフステーキ。インドでは最高なのだそう。

 お好きな言葉は、
 「私は、世界と喧嘩しろなどとは言わぬ。我々をとりまく全世界が たとえ滅びようと、その中に救いを見いだし得るような、独立した自主的な生活を始めるように 忠告しているのだ。」 (アレクサンドル・ゲルツェン: ロシアの思想家・文学者)

 「サイの角のように ひとり歩め(ブッダ)
 黙々とご自身のお仕事に専心されてきた 神谷先生の生き方を表しているような言葉 にも感じられます。

 毎日心がけていらっしゃることは
 「規則正しい生活」。

 インドの建築にふれることによって、それまで 欧米と日本という二元論で考えていた世界を、多元的に見るようになり、世界は多様性に満ちている という認識を深めるようになられたという神谷先生。 現在は、ご自身の研究とお仕事の他に、専修大学の非常勤講師として、芸術学と建築を教えていらっしゃいます。

 19世紀の建築の理念は「様式」、20世紀の建築の理念は「空間」と言われています。
 現代建築は、幾何学で作られ 内部空間の美しさを重視する 皮膜的建築(イスラム建築)と相性が良く、講義などをしても人気があるそうですが、これとは趣を異にして 外観の「彫刻性」を重視したインド建築は、現代には なかなか受け入れられにくい要素を持っています。
 しかしながら、21世紀を迎え、インドが「開かれたインド」に発展していく時代、神谷先生の著された「インド建築案内」は、インド建築界のみならず、世界の建築界に 新たな視点を与えていくに違いありません。


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