神谷武夫の年賀状・大回顧展

神谷武夫


 若いころはアナーキストだったので、世の中の「制度」とか「儀式」とかが嫌いで、したがって年賀状というものも できるだけ出さないで済ませようとしていました。当時は「虚礼廃止」ということが叫ばれていて、年賀状も「虚礼」だと思われていました。

 それでも子供時代には 何の疑問も持たずに、正月には 年賀状を出すものだと教えられ、毎年せっせと年賀状のための木版画などを彫っていました。今 さがしてみると、刷ったものが たった一枚だけ 残っています。おそらく最後のものでしょうが、文楽人形の「三番叟」の頭(かしら)を彫ったもので、中学生の時かと思います。黒と赤の二色刷りで、黄色は 筆で彩色したものでしょう。しかし これのあとは、年賀状を出すのを やめてしまったようです。


年賀状

中学生のときの 年賀状
(三番叟の文楽人形の頭を 木版に彫った)


 ところが 大学を出て社会人になると そうもいかず、最低限の年賀状を出すことにしました(もらった年賀状に 返信もしないのは無礼だし)。
 次に 控えが残っているのは 上記のものの 10年後ぐらいのものですが、労力少なくして、それでも 多少見栄えのするようにと、ステッドラーの消しゴムの一番小さな面に 10年前の三番叟を なぐり書き風に簡単に彫って、葉書にベタベタと押しました。一見、手の込んだ年賀状に見えたことでしょうが、実は大いなる「手抜き版画」の賀状だということは、すぐに わかった筈です。
また、ここには ずいぶんとペシミスティックな文句が書いてありますが、全員に こう書いたわけでもないでしょう。


年賀状

年賀状 1973
(ステッドラーの消しゴムに、上の三番叟の頭を簡単に彫った)


 次に残っているのは さらに6年後のものですが、まだ年賀状の形式を探しあぐねていて、わずかな枚数だったので、とりあえず というか、やむをえず 「手書き」で行きました(バックライト・ボードを使って)。当時ロマネスク建築に眼を開かれていたところなので、スペインの「プレ・ロマン」にモチーフを求めました。北スペインのレオン近郊、サン・ミゲル・デ・エスカラーダ聖堂の 片面回廊を構成するアーケードです。

 一方、「元号」というのが あまり好きでないので、年賀状には「昭和」とか「平成」とか書いたことがありません。ただ、それが いつ出したものか解るように、世界的に通用する「西暦」の「年号」だけを入れています。


年賀状

年賀状 1979
絵は、スぺインのロマネスク聖堂のアーケードを手描き。
「賀」という字は、やはりステッドラーに彫刻した「消しゴム版画」か?(現存せず)


 さすがに 自分の設計事務所を開いてからは、もっと真面目に年賀状を出すことにし、そうなると「凝り性」なので、毎年、時間をかけてデザインするようになります。

 しかしながら、自然界とは無関係に、人間が勝手に作った「年」があけて1月1日になったからといって、「おめでとうございます」などと書く気には どうしてもなれず、そこから最も遠そうな言葉を探した結果、「頌春」に落ち着きました。春が来るのを頌するというのは 人間の自然な感情であって、これなら「うしろめたい」気持ちにならずに済むと 感じたのでしょう。以来30数年にわたって、年賀状には「頌春」と書き続けています。


年賀状

年賀状 1980
これが インドやイスラム建築の本から 図面を借用し始めた最初です。
すべて無断借用なので、このページで 全部の出典を明らかにしておきます。
この図面は、西インドのアフマダーバードにある、
ラーニー・シープリ(ラーニー・サブライ)・モスクのミフラーブです。
(From "Indian Architecture" by Claude Batley, 1934, Academy Editions)

この年に「頌春」という言葉の書体と大きさが確定し、
以後 現在に至るまで これを用いています。


 ずっと一人で仕事をしてきて 住居と事務所が一体なので、年賀状は事務所名で出しますが、住居を兼ねた 個人事務所であることを 明らかにすべく、手書きで 私の名前を書いていました。


年賀状

年賀状 1981
図面は、独立後第1作で、この年の3月に竣工する、
小さな『サンスイ保育園』の 透過アクソメ図
まず外階段を上がって行くテラスは「建蔽率」から除外するために「すのこ張り」です。


年賀状

年賀状 1982
図面は、この年の年末に竣工する『横浜の町家』のアクソメ図
翌年の「神奈川建築コンクール」で住宅部門の最優秀賞を受賞します。
「うなぎの寝床」のような、細長く 狭い敷地でした。
屋根は銅板葺きなので、数年後にすっかり緑色になりました。


年賀状

年賀状 1983
横浜の山本邸増築(お祖母さんの部屋)
こんな小さな仕事も 一生懸命にやっていました。
事務所名は「神谷武夫設計事務所」です。


年賀状

年賀状 1984
『イスラムの建築文化』の翻訳が終わったのに 出版社が見つからなかった頃で、
その本から、シナンのモスク、エディルネのセリミエの断面図を借用しました。
仕上がりが不満だったので、32年後に もう一度、このデザインをやり直すことになります。
(From "Architecture de l'Islam" by Henri Stierlin, 1979, Office du Livre)

ド-ム屋根の頂部に、「初日の出」のような円を 朱肉でスタンプすると、
黒一色の賀状に「華やかさ」が加わって良い、と気付きました。
これも ステッドラ-の消しゴムを削ったもので、以後 30年以上 使い続けています。


年賀状

年賀状 1985
図面は、『K高校キャンパス計画』のアクソメ図
「公共建築」への参加の仕方を まったく知らなかったので、
校長からの依頼で、学校側の提案としてのみ作成。


年賀状

年賀状 1986
図面は、中インドの パッタダカル、ヴィルーパークシャ寺院の立面図
(From 『インド史 2.』 ロミラ=ターパル、1972、みすず書房)

訳書『イスラムの建築文化』の出版の目途が立たなかったので、
インドのヒンドゥ寺院の図面を借用しました。


年賀状

年賀状 1987
図面は、名古屋の住宅 『クロイスター』のアクソメ図
初めて実現させた、ロマネスク風の「中庭」です。

この住宅の建主は ヒサゴ の若いオーナーですが、かつてロシア文学の
ゲルツェンを専攻されたというので、意気投合しました。


年賀状

年賀状 1988
図面は、前年に設計した『阿部邸計画』のアクソメ図(実現せず)

この前年に、最初の訳書『イスラムの建築文化』が やっと出版されました。
なぜ そっちを年賀状のモチーフにしなかったのだろうか?


年賀状

年賀状 1989
ジョン・ブルックスの『楽園のデザイン、イスラムの庭園文化』を
翻訳していた頃なので、イランの『フィン庭園』の平面図を借用
(From "Earthly Paradise" by Jonas Lehrman. 1980, Thames and Hudson)
『楽園のデザイン』は この年の6月に出版され、多くの書評が出ました。


年賀状

年賀状 1990
図面は、この年の7月に竣工する『パラダイス・ガーデン』のアクソメ図
『楽園のデザイン』を翻訳して イスラーム庭園の影響を受け、
今度は イスラーム風の「中庭」をもつ別荘となりました。

この年「文化の翻訳、伊東忠太の失敗」という重要な論文を書きます。


年賀状

年賀状 1991
今回は ロマネスク建築の影響を受けたデザイン(森田ビル)

前年までの年号の数字が小さすぎたので、この年から だいぶ大きくしました。
転居のため、住所が世田谷区から 豊島区へ変更。


年賀状

年賀状 1992
写真は、斎部功(いんべ いさお)の撮影による『パラダイス・ガーデン』の中庭
私の建築作品の竣工写真は、すべて 写真家・斎部功の撮影です。
これは カラー写真を わざわざモノクロにして、禁欲的な感じにしました。


年賀状

年賀状 1993
図面は、西インド、アフマダ-バ-ドの バイ・ハリール廟の立面図ですが、
私が設計した建物かと思った人も いたらしい。
(From "Ahmadabad" by George Michell, 1988, Marg Publictions)

この年、『at』誌に「インド建築−ジャイナの小宇宙」を連載しました。


年賀状

年賀状 1994
図面は、タハーカーリのバヴァーニー寺院、マンダパの天井伏図
(From "Mediaeval Temples of the Dakhan" by Henry Cousens,
1931, A.S.I. Report, New Imperial Series 48.)
中インドの半壊しているヒンドゥ寺院で、黒い丸は円柱の断面です。

この年 12回目のインド旅行をして、インド建築の撮影を完了します。


年賀状

年賀状 1995
図面は、前年に設計した『ヒサゴ・東京ショールーム』のアクソメ図

この年、ヒサゴ のオーナーの小川さんに勧められて、初めてパソコン
(IBM Vision)を購入したので、今やパソコン歴 23年となります。
当時は 街に「パソコン教室」など無かったので、本を読んでの 独学でした。
まだ「ウィンドウズ」ができていなくて、OSは 厄介な「MS-DOS」でした。


年賀状

年賀状 1996
図面は、横浜の『塩川屋ビル』(関神仏具店)の立面図
年末まで、このビルの工事会社の西松建設と闘い続けていて、
危機一髪を乗り越えて、年を越すことができました。

この年は 人々の 口の端に乗り始めた「インターネット」の勉強をし、
まさに「情報革命」であることを確信すると、ホームページの作成に着手します。


年賀状

年賀状 1997
写真は、前年に刊行した『インド建築案内』のゲラ刷りから切り抜いて
貼り付け、初めてカラフルな賀状にしました。
一人一人、皆 違う写真を貼ったので、同じ賀状はありません。

この年に 年号の書体・大きさが確定し、以後 現在に至るまでこれを用いている。
また この年の10月に、ホームページ『神谷武夫とインドの建築』を立ち上げました。


年賀状

年賀状 1998
図面は、コナーラクのスーリヤ寺院、ファーガソンによる復原立面図
(From "The Illustrated Handbook of Achitecture vol.1"
by James Fergusson, 1855, John Murray、London)
背の高いほうの本殿は、崩壊してしまって 現存しない。

この年、『建築フォーラム』誌に 創刊号から「インドの木造建築」を連載しました。


年賀状

年賀状 1999
図面は、この年の夏に竣工する『哲学者の家』のアクソメ図
この哲学者は、マフィアから どんな ひどい目に合わされたのか、
あるいは迎合したのか、私の眼から消えてしまいました。

この年、東大の夏学期で「インド建築史」を講じ、専大で「芸術学」の非常勤講師になります。
パソコンを駆使して HP まで自作しているのに、図面はずっと手描きでした。


年賀状

年賀状 2000
写真は、斎部功の撮影による 『哲学者の家』を、
フォトショップで加工して 色処理(ポスタリゼーション)をしています。

この年、朝日カルチャーセンター(東京)で「インド建築史」の講座をもちました。
また、彰国社から『ビジュアル版・建築入門』シリーズに原稿を依頼され、
第1巻に「ヒンドゥ建築」、第2巻に「エローラーのカイラーサ寺院」を書いて
送りましたが、17年経った今も 出版されていません。


年賀状

年賀状 2001
図面は、この年の6月に竣工する『ライラック・ハウス』のアクソメ図
この住宅が 誰にとっても きわめて満足すべきものになったのは、
建主・上原夫妻の、建築家に対する 十全な信頼のおかげです。

この年、東大助手(現・教授)の村松伸から依頼されて、
「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」という論文を書きましたが、
17年経った今も 出版されていません。


年賀状

年賀状 2002
写真は、斎部功の撮影による 『ライラック・ハウス』を、
フォトショップで加工して 色処理(ポスタリゼーション)をしています。
玄関脇に植えられているのが 可憐なライラックで、巨木には ならないらしい。

この年、『建築東京』誌に「インド・ヒマラヤ建築紀行」を連載しました。
年末には、事務所の名前を「神谷武夫建築研究所」に変更します。


年賀状

豊島区から北区への転居通知を兼ねた 年賀状 2003
絵は、インドで入手した 市販の便箋の絵を借用、
『ラーマーヤナ』のラーマとシータを描いていると思われますが、詳細不明。
空を飛んで「転居」とは、いいアイデアの賀状でした。


年賀状

年賀状 2004
図面は、中インドのアラシーケレ、イーシュワラ寺院の天井伏図
(From "The Hoysala Temples" by S. Settar, 1992,
Karnataka University & Kalâ Yâtra Publications, Bangalore)
ホイサラ様式の中でも特異な形式の寺院で、その天井伏図は いっそう魅力的でした。

この前年に インドで『インド建築案内』の英語版が出版された、と書いています。


年賀状

年賀状 2005
図面は、アルメニアの ゲガルダ・ヴァンク(修道院)断面図
(From "Documenti di Architettura Armena 6. G(h)eghard" 1978)
前年に 初めてアルメニア本国を旅行して、アルメニアの建築と音楽の とりことなっていました。
ゲガルドの Vank はハフパトと並んで魅力的で、"Document" シリーズの実測図も素晴らしい。


年賀状

年賀状 2006
図面は、北インドのファテプル・シークリー、ビルバルの館の扉口
(From "Indian Architecture" by B.L. Dhama, Ajanta Printers)

前年に、同級生の須田君の紹介で 小学館から『インド古寺案内』を出版。
本来は『インドの宗教建築』という題名でしたが、出版社の意向で変更、
54ー55ページの写真のピンぼけ ともども、どうやらマフィアの横槍らしい。


年賀状

年賀状 2007
図面は、インド、デリーのジャーミ・マスジド平面図
(From "Mughal Architecture" by Ebba Koch, 1991, Prestel)

「今月末に 彰国社から『イスラーム建築』を出版します」とありますが、
出版直前になって彰国社は出版を拒否し、以来10年間 出版されていません。


年賀状

年賀状 2008
図面は、トルコ、エディルネのセリミエ(セリム1世のモスク)平面図
(From『イスラムの建築文化』アンリ・スチールラン、1987、原書房)
トルコ史上最大の建築家 シナンの最高傑作で、その断面図も2回、賀状に使っています。


年賀状

年賀状 2009
図面は、アルメニアのサナヒン修道院内の小堂のポルターユ
(From "アルメニアのモニュメンタルな扉口 4~14世紀" 1987、アルメニア語の本)

前年まで、私の名前を 一枚一枚 手書きで入れていましたが、歳とともに
こんな小さい字が きれいに書けなくなってしまったので、この年から
手書きのサインを 縮小コピーで入れるという、姑息な手段に頼ることになりました。

その上の文:「2年前に出版予定だった『イスラーム建築』は、相変わらず
彰国社が 出版拒否をしています。詳しくは ホームページをご覧ください。」


年賀状

年賀状 2010
図面は、マリ共和国のジェンネの大モスク、平面図
(From "L'Architecture de Djenné (Mali)" by R. Bedaux,
2003, Rijksmuseum voor Volkenkunde, Leiden)
この前年に アフリカのマリ共和国を旅行して、最も有名な「土の建築」
ジェンネの大モスクに驚嘆しましたが、その歪んだ平面図を見て なお驚きました。


年賀状

年賀状 2011
図面は、ジャイナ教のティールタンカラ像
(From "Architectural Antiquities of Northern Gujarat" by James Burgess,
1903, Archaeological Survey of Western India Report, vol. IX.)

この年の3月11日に東日本大震災が起こりますが、その翌朝、私は脳出血で倒れました。
救急病院から転院した リハビリ病院の主治医が 脳のCTスキャン図を見て、「よくぞ
これまで生きてこられた。普通は死ぬか、さもなければ 寝たきりになる出血量です」
と言いましたが、不思議なことには 大きな後遺症も残らず、元気に生き延びています。


年賀状

年賀状 2012
図面は、南インド、ガンガイコンダチョーラプラムのブリハディーシュワラ寺院
(From "Gangaikondacholapuram" by Pierre Pichard,
1994, L'École Française d'Extrême-Orient)

ジャイナ教の建築の本は、ついに書くことができませんでした。
というより マフィアの圧力で、どこの出版社も尻込みするからです。


年賀状

年賀状 2013
写真は、三脚を立てた セルフタイマ-による撮影で、
前年に旅行をした ブルガリアの プロヴディフ、
市内モスクのミフラーブ前で、若いイマームとともに。

この年、3番目のホームページ「アルメニアの建築」を立ち上げます。


年賀状

年賀状 2014
図面は、デリーのフマユーン廟の立面図
(From "Mughal Architecture" by Ebba Koch, 1991, Prestel)
エバ・コッホが書いた この『ムガル建築』は、本文ばかりでなく 図面群も秀逸です。
後に決定版ともいうべき タージ・マハルの本 "The Complete Taj Mahal" を書いています。


年賀状

年賀状 2015
図面は、インドのトリンバクのタンク(沐浴階段池)回廊周壁の立面図
(From "Indian Architecture" by Claude Batley, 1934, Academy Editions, London)

前年に、マフィアの圧力による 全ての出版社の出版拒否によって「幻の本」となっていた
『イスラーム建築』の私家版を 100部制作したので、その表紙を組み入れました。


年賀状

年賀状 2016
32年前の 1984年の年賀状は、デザインは気に入っていたのですが、
まだパソコンもスキャナーもない時代だったので、仕上がりに不満足でした。
そこで 同じデザインを再使用しながら 精度を上げたわけですが、
二度目だと気づいた人は いなかったことでしょう。
図面は、エディルネのセリミエの断面図(from『イスラムの建築文化』1987、原書房)


年賀状2017

年賀状 2017
図面は、中インドの ケーシャヴァ寺院(ソムナートプル)の平面図
(写真集『インドの建築』の扉より、1996、東方出版)
最初に出したインド建築の本の扉に選んだ図面なので、思い入れがあります。
ホイサラ様式の寺院で、3つの聖室が一つのマンダパを共有しています。


年賀状2018

年賀状 2018
写真は、西インドのサルケジ、アフマド・ハットゥ廟を背にした パビリオン
不思議な形をしていて、その用途もよくわからないが、なかなか魅力的な建物です。
フォトショップで加工して 色処理(ポスタリゼ-ション)をしています。




 以上、40年にわたる年賀状を回顧してきましたが、これらは全て賀状の「うら面」です。 宛名を書く面を「おもて面」と言いますが、私は おもて面の「宛名書き」を、すべて 「手書き」しています。
 パソコンに住所録のデータベースを作り、そこから一発でプリントアウトした宛名シールを「おもて面」に貼っていけば、大いに手間が省ける、ということは十分わかっていて、パソコン歴23年の私が それをせずに 手書きしていることを 不思議に思っている方もいます。 何故そうしないのでしょうか?

 私は、年賀状というのは、多数の人々へのダイレクトメールではなく、一人一人の友人、知人への「挨拶」だと思っているからです。 私の住所録は、昔ながらの 手書きのカード式です。 その「書き加え型」のカードを一枚ずつ見ながら 宛名を書いて行く間、わずか数分かもしれませんが(時には数十分も 物思いに ふけります)、相手の顔を思い浮かべながら、その人との それまでの付き合いや 近年の仕事や生活について想うのが、私の その人への挨拶です。

 もしも 宛名シールを一度に打ち出して ペタペタ貼っていけば、相手の顔を思い浮かべることさえ 無いのではないでしょうか。 それでは 効率はよくとも、企業のダイレクトメールと同じです。 枚数が多いからといって、家族に代筆させたり、宛名書きのアルバイトを雇ったりするのも、そうでしょう。

 宛名をパソコンから打ち出すのは、「自分の字が 下手だから」と言う人もいます。 しかし、「乱暴な」字というのは あっても、「下手な」字というのは ありません。 どんな字でも「丁寧に」書かれた字は、個性のある「美しい」字です(ワープロの 機械的で画一的な字よりも よほど)。

 また 年賀状の「うら面」についても、私は 印刷屋で印刷してもらったことは 一度もなく、すべて 自宅のコピー機での、手間暇かけたコピーで作成しています。 きれいなコピーにする「秘訣」は、図面や文字を 大きなもので用意し、それをレイアウトした上で、葉書に 50パーセントぐらいの縮小コピーをすることです。
 写真を入れる場合は、パソコン上のフォトショップで加工して、派手さを抑えて(図案化して)から プリントアウトします。
 それらの上に手書きで名前を書いたり、「初日の出」のような「消しゴム印」を押したりしますから、ずいぶんと工程の多い、手の込んだもの というわけです。機械だけではなく、できるだけ「手の跡」を残そう という意図です。完成原稿を一枚作って 印刷屋に発注すれば、はるかに簡単ですが、それでは ダイレクトメールになってしまう、という想いのためです。

 と、一端(いっぱし)なことを書きましたが、それらは 全て「程度問題」に過ぎません。 私はこうしている、というだけのことなので、あまりお気にされないよう。



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TAKEO KAMIYA 禁無断転載
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