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お知らせ '09-'11

神谷武夫
ガネシャ


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古書の愉しみ 9. ラスキン『 建築の七灯 』

『建築の七灯』

● 「古書の愉しみ」の第9回は 建築の古書に戻って、ジョン・ラスキン(1819-1900)の名高い 「建築の七灯」です。ラスキンは美術評論家として出発し、「近世画家論」や「ヴェネツィアの石」を書いて、若くして有名になり、その後も多くの本を出版しました。次第に社会思想家となり、明治時代の日本では、むしろその方面でよく知られていました。「建築の七灯」は彼の最初の完結した本であり、何度も繰り返し重版された建築書です。 ここをクリック すると、今から 100年前に出版された「建築の七灯」のページに とびますので、興味のある方は お読みください。   (2011/12/01)



『チャリング・クロス街 84番地』

●● ところで、『チャリング・クロス街 84番地 』という本を御存知でしょうか。「書物を愛する人のための本」という副題のついた、書簡体小説です(ヘレーン・ハンフ著、江藤淳訳、中公文庫)。第2次大戦後の 1949年、ニューヨークに住む脚本家のヘレーンが、新聞の広告で見つけたロンドンの古書店・マークス社に宛てて、古書を注文する手紙を書きます。誠実な対応をした古書店と、以来 20年にわたる文通が続くことになります。そのマークス古書店の住所が、「チャリング・クロス街 84番地」というわけです。(シャーロック・ホームズの「ベーカー街 221番地」を思い出させますが、古書店が立ち並んだチャーリング・クロス街というのは、日本で言えば 神田神保町 ということになるでしょうか)。
 この実話の、実際にやりとりをした 往復書簡集 が 1970年にアメリカで出版されると、何の劇的な筋立てもない この小説が ベストセラーとなり、舞台で上演され、さらに 1986年に 同名の 映画 にもなりました(日本未公開)。アン・バンクロフトがヘレーンを、アンソニー・ホプキンスが マークス古書店の古参店員を演じています。地味な内容ですが、本も映画も、心に沁みる、静かな感銘を与えてくれます。本の好きな人には、DVD か、どちらかを 読む(見る)ことを お勧めします。(アマゾンで買えます)

古書の愉しみ 8. マルグリット『 七日物語 (エプタメロン)

『エプタメロン』

● 「古書の愉しみ」の第8回は、前回に続いて フランスの 「挿絵本」を採りあげます。建築書ではありません。 ただし前回の「青い鳥」とは、さまざまな意味で対照的な「七日物語(エプタメロン)」です。15世紀、フランス王家に生まれて、スペインのナヴァーレ王と再婚したことから ナヴァーレ王妃・マルグリット と呼ばれる、当時有数の知識人であった閨秀作家が書いた 艶笑譚集です。 これに 20世紀のフランスの挿絵画家・シェリ・エルアールが、ポシュワールによるエロティックな挿絵を描いて、魅力的な本にしました。ここをクリック すると、「エプタメロン」のページに とびますので、お読みください。   (2011/11/01)


ヒンドゥ教の建築

●● 今から18年前に、ジョージ・ミシェル の『ヒンドゥ教の建築』を翻訳して、鹿島出版から出版しました。(当時は発音を間違えて、ジョージ・ミッチェルと書いてしまいましたが。)彼はその後も 精力的に本を書き、共著を含めれば 数十冊の本を出版しています。世界で最も活躍するインド建築史家と言えるでしょう。そのジョージが、友人のアメリカ人の建築史家、ジョン・フリッツとともに来日し、先週、私の事務所を訪ねてくれました。彼が今書いているのは、イスラーム時代のインドの ヒンドゥ教やジャイナ教の寺院建築の本で、今まで誰も手をつけていなかったテーマだと言っていました。
一方日本では、私の本がマフィアの妨害で出版されないこと、日本の建築界は本当にひどい状態になっていること、などを説明すると、たいへん驚いていました。イギリスやアメリカの建築界に、次第に話が伝わっていくことでしょう。

古書の愉しみ 7. メーテルリンク『 青い鳥 』

『青い鳥』

● 「古書の愉しみ」のページは、今まで6回にわたってジェイムズ・ファーガソンの本をはじめ、硬い建築史の本ばかりを採りあげてきました。そこで、しばらく建築の専門書を離れて、純然たる「古書の愉しみ」にふけろうと思います。まず採りあげるのは、メーテルリンクの『青い鳥』です。おそらく誰でもが知っている、チルチルとミチルの兄妹が 青い鳥を求めて夢の世界を旅する という物語です。 あまりにも有名なこの話は、子供向けの「絵本」として世界中で無数に出版されてきましたが、今回採りあげるのは 子供向けの「絵本」ではなく、大人向けの「挿絵本」です。「絵本」とはちがう「挿絵本」とは何か。それを、すべての図版ページとともに紹介します。 ここをクリック すると、「青い鳥」のページに とびます。   (2011/10/01)

古書の愉しみ 6. ファーガソン『 歴史的探究 』

『歴史的探究』

● 「古書の愉しみ」の第6回は、またまた ジェイムズ・ファーガソンの本です。前回紹介した『フリーマン建築史』と同年の 1849年に出版された『芸術、とりわけ建築美に関する 正しい原理への歴史的探究(An Historical Inquiry into the True Principles of Beauty in Art, more Especially with Reference to Architecture)』です。 最初に「世界建築史」を書いたのは誰だろうか、という問いに対する、私なりの回答編というわけです。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2011/08/20)



windows xp

●● ウインドウズ XP が大変優れた、安定した OSだったので、メインのデスクトップ・パソコンを うかうかと使い続けて 6年半。1か月前、ついに電源が入らなくなってしまいました。メーカーに修理に出したところ、マザーボードの保有期間を過ぎていて、修理不能であると、返却されてきました。 今まで気にいっていたシステムとも いよいよお別れかと、次のパソコン選定が始まりました。セットになっているパソコンは、ディスプレイがテラテラで、照明器具をはじめ 対向面が映ってしまうので耐え難く、結局 今回も、タワー型の本体と 非光沢の 23インチ・ディスプレイとを、別々のメーカーから買うことにしました。ところが 本体が初期不良で取替え。そしてウィンドウズ XPで すべて順調に仕事ができていたのに、ウィンドウズ7 は勝手が違い、なんだか 使いにくくて しょうがありません。しかも、XP で使っていた フィルム・スキャナーが 使えなくなってしまいました。もはや フィルムの時代ではなく、ディジタル・カメラの時代になってしまったわけですが、私には 35年にわたって 撮りためて、地域別に整理してきた、約5万枚におよぶ、世界の建築の スライド・フィルムがあります。これを一体どうすべきか、悩ましい限りです。
その他、パソコンの設定や調整、ソフトのインストール、周辺機器の接続などで、大いに時間を費やしてしまいました。
また、新しいディスプレイは バックライトが強く、まぶしいほどの 輝度の強さです。 OSもまた それに対応しているのか、今まで標準に使っていたフォント、「MSPゴシック」 が 大変に読みにくくなってしまいました。そこで、ウィンドウズ・ヴィスタから 標準フォントになっているらしい「メイリオ」と「Meiryo UI」を、私の HPでも全面的に採用して、読みやすくしました。しかし、今でも ウィンドウズ XPのパソコンで見ている方は、このフォントが入っていないかもしれませんので、今までの MSPゴシックで表示されて、少々 読みにくいかもしれません。   (2011/08/25)

古書の愉しみ 5. 『フリーマン建築史 』

>フリーマン建築史

● 「古書の愉しみ」の第5回は、ファーガソンの『世界建築史』よりも もっと早く書かれた「世界建築史」です。後にイギリスを代表する歴史家となる エドワード・オーガスタス・フリーマン が、弱冠 24歳で書いた、『建築史』 なので、ここでは第3回の『フレッチャー建築史』にならって、『フリーマン建築史』と呼ぶことにします。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2011/07/10)



フェイスブック

●● アメリカで生まれた ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の「フェイスブック」が 世界中に広まり、そのユーザー数が、なんと6億人に達する勢いだそうです。日本では それほどではなかったので よく知らず、たまに海外から、フェイスブック上で友達になりたい というメールが来ても、何のことやら よくわからず、いつも ほっておきました。それが、昨年、フェイスブックの若き創始者 ザッカーバーグの本や映画が評判になったあたりから、日本でも利用者が急増しているようです。そこで、とうとう 私も フェイスブックに アカウント登録をし、インド建築とイスラーム建築の「フェイスブック・ページ」(ファン・ページ)を開きました。ホームページと連動して、閲覧者が増えることを 期待しています。それぞれのページは 次の通りです。クリックして、ご覧ください。

   「 INDIAN ARCHITECTURE インド建築

   「 ISLAMIC ARCHITECTURE イスラム建築

フェイスブックに アカウント登録をしている方は、どうぞ、それぞれのページの一番上にある 「いいね!」 ボタン を 押してください。(ホームページ上にある 「いいね!」ボタンを 押すのも、同じことになりますが、フェイスブックのユーザーでなければ、押してもカウントされません。)

ブハラの 「 サーマーン朝の廟 」

ブハラ

● 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。 大震災のあと、「日本は ひとつ」というような標語が だいぶ流れましたが、日本の建築界は ひとつどころか、ますますマフィアに分断・支配されていて、人々は 人間的な言葉ひとつ 発することができなくなっています。『イスラーム建築』の、出版契約さえ無視して 出版拒否をしている 彰国社 ばかりでなく、マフィアを恐れて(あるいはマフィアとつるんでいて)、言論や出版の自由を守ろうともしない 日本のすべての出版社も、私の本を 出そうとはしません。
さらに、多くの友人にも裏切られました。(よくまあ、あんな生き方ができるものだ とも思います)。でも、そうした人たちは、その後 たいした仕事をしなくなってしまいました。 心に 後ろめたさたが残る生き方をしていると、(もっと大袈裟に言えば、悪魔に 魂を売り渡してしまうと)、その言説にも 作品にも、筋の通った主張が できなくなってしまうのでしょう。 (サラリーマンで、そういう生き方に耐え切れずに、会社を辞めていく人も、時には いますが)。
そこで 今回は、『イスラーム建築』 の第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「ブハラのサーマーン朝の廟」(ウズベキスタン)を、『世界のイスラーム建築』のサイトの 同名ページに載せました。 この 10世紀初めの廟は小品ながら、以後の中央アジアからインドにかけて 大発展する廟建築の先駆となった、重要な建物です。お読みになりたい方は ここをクリック してください。   (2011/05/15)



●● 春、ゴールデンウィークも終わって、大震災や原発の被害が一段落とは とても言えませんが、大学は やや遅れて新学期が始まりました。 新しい気持ちで 建築を学ぼうとしている「建築科」や「建築学科」の学生諸君には、このHPの中の、「原術へ」 のページの「解題」を ぜひ読んでほしい。そして「文化の翻訳」、「何をプロフェスするのか」、「あいまいな日本の建築家」を読んで、「アーキテクチュア」とか「アーキテクト」の意味を知ってほしい。そして これらについて、友人と議論してほしい、と願っています。

古書の愉しみ 3. 『 フレッチャー建築史 』

『フレッチャー建築史』

● 「古書の愉しみ」の第3回は、ファーガソンの『世界建築史』と覇を競った、『フレッチャー建築史』です。フレッチャーの死後も改定を重ねて、現在 第 20版が出ていますが、ここでは 古書としての第5版と、その邦訳版を採りあげます。ここをクリック すると、フレッチャーのページに とびます。   (2011/04/24)

古書の愉しみ 2.  ファーガソンの『 世界建築史 』

『世界建築史』

● 「古書の愉しみ」の第2回は、前回と同じく ジェイムズ・ファーガソンの本で、『インドと東方の建築史』と並ぶ主著の『世界建築史』す。まだ東アジアや中南米が不十分だったとはいえ、ひとつの著作の中に 世界中の建築が大量の図版とともに詳解された、最初の建築史の書物です。
 ファーガソンの発音は、正しくはファーガスンですが、日本における慣例で(たぶん綴りが -son なので)、ファーガソンと書くことになっています。シンプスンが シンプソンと書かれるのと同様です。しかしながら、かつてジェームズと綴られたのが、今ではジェイムズと正しく書かれるようになったように、スンというのが日本人にとって発音しにくいわけではないので、今に ファーガスンと表記されるように なるかもしれませんが、今のところ 私の本とHPでは、慣用に従って ファーガソンと表記することにしています。ここをクリック すると そのページに とびます。   (2011/03/01)

中東の市民革命エジプト

タハリール広場

● 中東が、今 大きく揺れています。チュニジアで始まった 市民による 政治的異議申し立ては、エジプトやイエメン、そして湾岸諸国に広まり、さらに リビアとアルジェリアを揺すぶっています。 エジプトでは、ついに 市民による民主化革命が成就し、2月11日に ムバラク政権が倒れました。乾杯です。
 私が 初めてエジプトに行ったのは 1977年末から 78年始めにかけてですから、もう 33年前のことです。 当時 エジプトの大統領だったサダトが、中東和平のために 歴史的なエルサレム訪問をした直後だったので、カイロ市民をはじめ エジプト人は、誰もが興奮ぎみの明るい顔で それを祝い、外国人の私にも 誰かれとなく「サダトの行動を どう思う?」と問いかけては、素晴らしいでしょうと、誇らしい 祝祭気分になっているようでした。
 4回にわたる中東戦争で国は疲弊し、人々が厭戦気分に満ちていたところに、やっと 平和への希望を与えられたからです。サダトは イスラエルのベギン首相とともに ノーベル平和賞を受賞しましたが、しかしイスラエルとの和解は、逆にパレスチナへの裏切りとも見なされ、3年後の 1981年に暗殺されてしまいました。 この時、副大統領からの繰上げで大統領になったのが、ムバラクです。 サダト政権末期は 国民から離反し、ひどい状態だったので、ムバラクならば もっと良くなるのではないか、と 期待もされました。

 ところが それから 30年間、ムバラクは政権に居座り続けました。ひとつの政権が 10年も続けば 腐敗するのは当然です。まして 30年ともなれば どんなことになるか。30年前には、トルコとエジプトは 似たような印象の国でした。つまり、典型的な後進国で、貧しさが目につき、すべてが うまく機能していない という印象でした。 ところが それから 30年の間に トルコは着実に発展し、今では欧州連合(EU)の一員になろうとしています。停滞するエジプトとの差は 歴然としてしまい、カイロの街の 相変わらずの汚さと対比的な、現在のトルコの街々の 日本並みの清潔さには 驚くばかりです。その差は、ムバラクによる 政権維持のための圧制と、自由への抑圧が もたらした結果でしょう。今、エジプトの人々はムバラクを倒して、あの 33年前と同じ 熱気と祝祭気分に包まれているに ちがいありません。

 今回の市民革命の中心地となったのは カイロのタハリール広場ですが、ここから ヒルトン・ホテルとエジプト博物館に囲まれた 広大なオープン・スペースが、タハリール広場に含めて呼ばれることが多く、33年前には、それは巨大なバス・ターミナルとなっていました。ある日、ここからバスで 南の郊外に行きましたが、帰ってくる時 バスに乗りかけて、念のため、このバスはタハリール広場に行きますねと、運転手に尋ねました。ところが彼は 私が何を言っているのか わからず、私が 何度 タハリール・スクエアと言っても通じず、まわりの乗客も 困惑と恐怖の表情を浮かべるばかりです。

 そのうちに一人の乗客が、あ、もしかすると この人は、タハリール広場のことを言っているのではないか、と言うと、人々は、そうだ タハリールだ、タハリールだ と口々に言って、一斉に安堵の胸をなでおろし、明るい顔をとりもどしました。で、私も安心して乗り込むと、笑顔の乗客が、「あんた、タハリールじゃないよ、タハリールだよ」と言うのですが、私には、その違いが 全く わかりません。まあ、外国を旅していると、こういうことは よくある笑い話です。
 で、終点のタハリール広場で バスを降りて歩いていくと、一人の若者が追いかけてきて、私に英語で話しかけてきました。同じバスに乗っていたらしく、「さっきは、不快な思いをさせてしまって、たいへん申し訳ありませんでした。皆、悪気があったわけでは ないのです。ただ 外国人の発音に慣れないもので、あんなことを してしまったのです。本当に すみませんでした」と言って、しきりに謝るのです。私は 思わず笑ってしまいましたが、外国で こんなことは よくあるとはいえ、その私の失敗を 自分たちの罪のように考えて、現地の人が謝りに来た というのは、後にも先にも この時だけです。エジプト人というのは、何と心優しい、良い人たちなんだろう、と思ったものです。

 その 心優しく 温和なエジプトの民衆が、市民革命を起こすとは! 実に大きな驚きでした。一方、私の住む日本では、羊のように おとなしい日本人が、マフィアの横暴に何の抵抗もせず、むしろ その手先になったり、その おこぼれに あずかって生きているような姿は、見るに耐えません。こうした中東のイスラーム国の、紛争ではない、平和な文化としての『イスラーム建築』の本を書いても、出版社は マフィアの圧力によって、出版契約も無視して、出版拒否を続ける ありさまです。
 現在はリビアで、市民革命が成就寸前です。その動きは、さらに中東全体に広がりそうです。そうした民主革命の成功のあとにも、大いなる困難が待ち受けているでしょうが、先人の言ったように、「未来の世代に属する人たちが、人間の生活から、すべての悪、すべての抑圧、すべての暴力を拭い去り、そして そのすべてを享受するように」と、願わずには いられません。    (2011/03/10)

古書の愉しみ 1. 『インドと東方の建築史』

『 インドと東方の建築史 』

● 長年 インドやイスラームの建築を研究していると、新刊書ばかりでなく、多くの古書を蒐集してしまうことになります。インド建築史やイスラーム建築史が研究され始めたのは19世紀半ばなので、200年以上前の本というのはありませんが、100年前、150年前に出版された本というのは 珍しくありません。19世紀には現在のような写真製版がなかったので、中の図版は銅版画や石版画、木版画でなされました。 表紙が革装の美しい本もあり、単に読むだけではない、古美術品のような趣も呈します。
 一般に 古書の話は文学書に傾きがちですが、このサイトでは、インドやイスラームの建築書を シリーズで紹介していくことにしました。本の内容もさることながら、ヴィジュアルな造本や装幀についても 詳しく扱おうと思います。世の中は、紙の本からディジタル本へと移行する動きが活発ですが、図版のたくさん入った本には、ディジタル本にはない、「もの」としての紙の本の魅力があります。それらを所有することは、愛書家にとっての 無上の喜びでしょう。「古書の愉しみ」と題する所以です。
 とりあげる古書は、インド建築史を最初に体系化した ジェイムズ・ファーガソンを研究してきた関係上、彼の著書を多く所蔵していますので、当分は 彼の本が中心になります。 そこで 当然のことながら、第1回は ファーガソンの『インドと東方の建築史』です。 ここをクリック すると そのページに とびますので、今から 100年以上も前に出版された古書をご覧ください。   (2011/02/01)

謹賀新年 2011

レギスターン広場

● 今年もまた、昨年と同じ挨拶で始まります。 『イスラーム建築 』 の本は、彰国社が4年にわたって出版拒否をしていますので、いまだに出版されていません。建築界は相変わらず腐りきったままで、沈滞ムードにあるのは、経済の停滞からくる ばかりではありません。東大は村松伸 准教授(生産技術研究所)の無法行為を容認したままですので、私が彼から依頼されて書いた「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」を収録する『建築史家たちのアジア「発見」』も、原稿を渡してから9年半になりますが、いまだに出版されていません(風響社)。
 彰国社は、「ビジュアル版・建築入門」(編集代表・布野修司)の第 1、2巻も出版しません。私が 編集部からの依頼で執筆した「エローラーのカイラーサ寺院」(藤森照信 編集担当の第1巻に収載)と、「ヒンドゥ建築」(中川武 編集担当の第2巻に収載)との原稿を渡してから、もう 10年になります。これらすべてが 出版契約無視、どんなに催促されようと非難されようと、マフィアの命令である以上、出版社は 平然と出版拒否を続けるのです。また、私が翻訳した、イスラーム建築史の最良の本『イスラムの建築文化』も再版されず、どこの出版社もマフィアの要請に応えてスクラムを組み、神谷の本は決して出さないと決めているので、この大政翼賛会の下、言論弾圧は徹底しています。建築界の人間は皆、マフィアを恐れて 沈黙するのみです。
 そういうわけで、日本における イスラーム建築への一般の理解は、諸外国にくらべて遅れるばかりですが、今月は、『世界のイスラーム建築』のサイトに、『イスラーム建築』の第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「サマルカンドのレギスターン広場複合体」を転載することにしました。サマルカンドは ブハラ、ヒヴァと並んで、中央アジアで 最もイスラームの建築遺産の多い街で、レギスターン広場の写真は、誰でも一度は見たことがあるでしょう。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2011/01/01)

アルメニアの音楽 など

アラックス

● 前に、アルメニアの歌手 を断続的に紹介していましたが、長い中断のあと、久しぶりに新しい CDを紹介します。今回は 歌手というよりは器楽のグループで、ベルギーの アラックス(ARAX)という名のグループで、アルメニア人の男4人、女1人の編成です。チェロやフルートやギターなど 西洋楽器を用いますが、中心になるのは、ヴァルダン・ホヴァニシアンによる ドゥドゥク という、アルメニアの民族楽器です。オーボエに似た木管の縦笛で、実に繊細で 哀愁に満ちた音色を奏でます。私は昔 ブロックフレーテ(リコーダー)で バッハなどのバロック音楽を吹いていましたので、アルメニアに行った時に試みてみましたが、ドゥドゥクは 音を出すのが はるかにむずかしく、買ってくるのを あきらめました。
 アラックスのホームページは こちら です。この「クロッシング」(CROSSING)と題するアルバムには 12曲が収められていて、その内2曲に、ローラ・ウォーターズという女性歌手が加わっています。 この2曲は 実に しっとりと心にしみいる、泣けるほどに美しい曲です。この CDは CD BABY という ウェブ・ショップで 安く買うことができます(CDでも、ダウンロードでも)。アマゾン でも 買えるようになりました。 アルバムの中の 2曲 "Ashxaroums" と "Khnki tsar" は、ユーチューブで聴くことができますので、試みてください(どちらも、歌のない曲ですが)。

● アルメニア音楽に のめりこんでから6年。毎晩 寝る前には アルメニアの歌を聴くのが習慣となって、今も続いています。CDは 70枚ほども溜まりました。 その中で、私にとっての ベストの歌手と曲を あげると、次のようになります(ただし、女性歌手だけですが)。[ ] はアルバム名で、トップの3人は、2曲ずつです。
     ■ ロズィ・アルメン (Sar Tarter と、Hove)[Rosy Armen]
     ■ ヘギーネ (Gisherain Yert と、Iriknamut)[Heghine]
     ■ リリット・カラペティアン (Legenda o Tebe と、Bud's so Mnoy)[Shala la la]
     ■ アラクシア・ヴァルデレシアン (Tou im Sroum est)[Veradardz]
     ■ エレメント (Sareri Hovin Mernem)[Yev o Phe]
     ■ エミー (Mi Pah)[Emmy]
     ■ ザヒル・ババヤン (Cilicia)[The Road to ...]
     ■ アラクシヤ・カラペティヤン (Huso Argast)[With my Voice]
     ■ クリスティーヌ・ペペリヤン (Kgnam)[About Me]
     ■ フーシェレ (Yeraz)[Provenance]
 何度も書きましたが、アルメニア人は悲劇の民族なので、その苦難の歴史を反映して、多くの歌の根底には 深い悲しみが流れているように思えます。これらの歌を、一枚の音楽 CDにまとめてみました(昔はテープで編集したものですが、今は パソコンで簡単に音楽 CDが作れるようになりました。 便利になったものです)。これらの歌のはいった 元の CDアルバムの多くは、今では入手困難になっていますので、これを是非聴きたいという方は、メールで ご連絡ください。CDのコピーを お送りします。



ざくろの色

●● 映画芸術の愛好家なら、パラジャーノフ の名作、『ざくろの色』という映画を ご存知でしょう。DVDが売切れとなって、中古 DVD市場では えらく高い値段がついていましたが、このたび、やっと新版が デジタル・リマスター版として発売され、入手しやすくなりました。
 映画監督の セルゲイ・パラジャーノフというのは ロシア風の名ですが、本来の名を サルキス・パラジャニアンという、アルメニア人です(アルメニア人の姓は、アンを語尾とすることが多い)。18世紀のアルメニアの詩人、サヤト・ノヴァの生涯を描いた この映画は、演劇的であるよりは 絵画的な映画として、そのきわめて美しい画面構成によって世界中から賞賛された、映画史上に残る傑作です。
 しかし、その超現実的ともいえる象徴的な手法は、あまりにも前衛的であるとして ソ連の保守層には理解されず、映画は上映禁止とされ、危険思想の持ち主として 政府から激しい弾圧を受け、投獄されること3回に及びました。映画制作の機会を奪われ、生涯に4本の映画しか完成させることができなかったといいます。
 それは タルコフスキーと似た境涯であり、また 今回 ノーベル平和賞を受賞しながら、投獄されたまま、その授賞式にも出席できなかった 中国の人権活動家、劉暁波(リウ・シアオポー)氏とも 共通する 悲運の人生です。私のHP『アレクサンドル・ゲルツェンとロシアの風景』に、もう一つの風景として書くべき人でした。

 そうした彼の美術家としての作品集としては、フランスで行われた彼の展覧会の 図録 がありますが、実物が見られる 彼の私設美術館 が、アルメニアの首都 イェレヴァン にあることは、あまり知られていません。それは、彼が世を去った翌年の 1991年に 自宅を改装して、彼の作品のみを展示する美術館としたものです。2階建ての小さな美術館ですが、所狭しと飾られた、それら 自由奔放な興味深い作品群を見ていると、時のたつのを忘れます。上に、サイト上の展示をしましたので、各写真をクリックして ご覧ください。(『アルメニアの建築』のサイトの、「アルメニア雑纂」 のページに移設しました。 (2013/01/01)

続・パキスタン建築紀行 」と、モスクの形

バードシャーヒ・モスク

● 9年ぶりに パキスタン に行ってきました。短期間の旅でしたが、ラホールのイスラーム建築や、インダス文明の遺跡を 撮影し直してきました。インドの経済的躍進と比べて、パキスタンは対テロ戦争や政情不安、そして この夏の大洪水による災害もあって、経済的には沈滞しています。古建築もスモッグに覆われて悲しげでしたが、簡単な報告を、9年前の「 パキスタン建築紀行」に、続編として付け加えました。ここをクリック して お読みください。    (2010/12/01)

「 インド・イスラーム建築史 」の完結と、劉暁波氏

ラージプート

● 新潮社の改訂版『新潮世界美術辞典』の項目による「インド・イスラーム建築史」は、前回の「ムガル時代」に引き続いて、「その他の項目」および「イスラーム以後のインド建築」の項目 を加えて 完結しました。写真は全部で 110点あまりを、新規に スキャンしたことになります。
 また、ページのトップに「索引」として表をつけ、どの項目にもワン・クリックで飛べるようにし、さらに 解説文中の項目名からも ワン・クリックで すぐさま その説明を読めるようにしました。まさに リンクの網による「ウェブ辞典」といった体裁になりました。 (ただし、Mozilla Firefox を ウェブ・ブラウザにしている場合は、「索引」から各項目へのリンクが働きませんが。) ここをクリック すると、そのページにとびます。『新潮世界美術辞典』の改訂版は、来年出版の予定ということです。   (2010/11/01)


劉暁波

●● 中国 の民主化運動のリーダーである 劉暁波(リウ・シアオポー)氏が ノーベル平和賞 を受賞することになりました。彼は 1989年の天安門事件の時に指導的役割をし、その後も中国にとどまったまま 民主化運動 を続けてきたために、普段から当局の監視がつき、何度も逮捕されました。定職に就くこともできず 収入はわずかな原稿料だけなので、生計は妻の 劉霞(リウ・シア) さんが 自作の絵を売るなどして 支えてきたといいます。 現在は、中国共産党による一党独裁の見直しや 言論・宗教の自由などを求めた「08憲章」を起草したために、「国家政権転覆扇動罪」で有罪となり、懲役 11年の実刑判決を受けて 服役中です。
 保身を旨とする人間ならば、さっさと民主化運動など捨て去って 支配層に迎合して生き、優秀な人なので 社会的地位や国家的栄誉に輝いてきたかもしれません。しかし そんな人間ばかりであれば、中国の民主化は いつまでたっても実現されません。自己の利益を犠牲にしてでも、社会の改革と人権の確立のために、転向せずに闘う人々が必要なのです。そして、そうした人々を支援するために ノーベル委員会が平和賞を授与するというのは、実に意義のあることです。私たちも、単に中国のこととしてだけでなく、世界に生きる人間たちの自由と尊厳を守り 発展させるためのワン・ステップとして、喜びたいと思います。   (2010/11/08)


アウン・サン・スーチー

●●● ミャンマー(ビルマ)では 非暴力民主化運動の指導者である アウン・サン・スーチー さんが、1991年に ノーベル平和賞 を受賞しながら、1989年以来、一時的に解放されたことはあるものの、軍事政権によって拘禁され続けています。 夫である英国人 マイケル・アリス氏が 1999年にガンで死去した時も、氏の入国要請を軍政は認めず、スーチーさんは 一旦 出国すると 再び国に戻ることができなくなることを予想して、ついに再会することができなかったといいます。国際世論がいくら軍政を非難しても、スーチーさんの 自宅軟禁 は解かれず、ひたすら忍の一字を余儀なくされています。
 しかし日本でも、マフィアによる言論弾圧出版妨害 が続いていて、メールや電話の盗聴は日常茶飯事、建築界の人間は マフィアが恐くて 口もきけず、出版社や新聞社、放送局や大学までが マフィアと つるんでいるのですから、中国やビルマの情況と たいした違いは ありませんが。   (2010/11/21)

「 インド・イスラーム建築史 」のムガル編と、 娘義太夫

● 新潮社の改訂版『新潮世界美術辞典』の項目による「インド・イスラーム建築史」、先月はデリーのスルタン朝時代の項目をアップしましたが、今回は その続きとして、近世の ムガル朝時代 の項目を加えました。今まで このHPでも、「ユネスコ世界遺産」その他で たびたび扱ってきた建物が多いので、おなじみと思います。今回は、以前の写真も見られるようにしながら、できるだけ新しい写真をスキャンして加えました。来月は、ムガル朝崩壊後のコロニアル建築や その他の関連項目を加えて、完結させる予定です。   (2010/10/01)



星と輝き

●● ところで 「娘義太夫」というのを ご存知でしょうか。女、それも若い娘が語る義太夫、また その語り手を 娘義太夫 あるいは女義と言います。義太夫というのは、太棹の三味線を伴奏とする音楽の一ジャンルですが、「歌」ではなく、主として人形芝居の「語り」として発展しました。(西洋の芸能には「歌」しかありませんが、イスラーム世界では、「歌」のほかに「語り物芸」がありました。)
 室町時代に「牛若丸と浄瑠璃姫の恋物語」が大流行したので、いつしか そうした語り物全体が 浄瑠璃 と呼ばれるようになりました。近世になって次々と生まれた流派に、清元、常磐津、新内などがあるものの、最も人気を得たのは、近松門左衛門の台本を 竹本義太夫 が語った調子なので 義太夫節と呼ばれる流派です。 大阪の人形浄瑠璃である「文楽」は、今も昔も 義太夫節で語られます。
 舞台で義太夫を語るのは、昔のシェークスピア劇や、現在に至る歌舞伎の俳優の場合と同じく、歴史的な禁制があって、男性のみと されてきました。 それが明治になってある程度自由化され、人形芝居からは独立した形の「素浄瑠璃(すじょうるり )」として、女性も舞台で「語る」ようになり、それを「女浄瑠璃」とか「娘義太夫」と呼びました(現在では、年齢に関係なく「女流義太夫」と言います)。

 最近、『星と輝き 花と咲き』(松井今朝子著、講談社刊)という小説が出、それは明治 20年に 竹本彩之助(あやのすけ )という 娘浄瑠璃の大スターが誕生し、かつてのビートルズや美空ひばりのような 熱狂的な支持を受けたのですが、その 23才で引退するまでを描いた小説だと聞いて、すぐに手が出て 読みました。 2〜3年前にも、文楽の太夫になるべく修行する若者を描いた 『仏果を得ず』(三浦しおん著、双葉社刊)という小説が出たときにも、すぐ読みました。
 どちらも軽い読み物ですが、どうして こういう本に手が出るかというと、私は かつて長いこと 文楽ファンだったからです。それは学生時代に始まり、竹本越路太夫(四代目 1914 -2002)のファンとなり、三宅坂の国立劇場で文楽公演がある時には いつも越路太夫の語りを聴きに行きました。で、1989年に越路太夫が引退すると、次第に足が遠のき(人形師の出遣いが やたらと多くなったことも 原因の一つですが)、近年は ほとんど文楽を見に行っていません。それでも 越路太夫の語りを録音したCDを、時おり聴くことがあります。
 一方、私は一度だけ、娘義太夫を聴いたことがあります。今を去ること 40年、国立劇場の民俗芸能公演シリーズで、日本の民俗劇と人形芝居の系譜、「淡路の人形芝居」の公演においてです。淡路島における人形浄瑠璃は 大阪の文楽のもとになった とも言われ、現在に至るまで 人形芝居が盛んで上演しています。島における伝統芸能ゆえの人不足からか、淡路では 女性も舞台にあがります。その観劇時の日記を さがしてみましたら、当日のことが 次のように書いてありました。

 「国立劇場へ 淡路の人形芝居を見に行く。民族芸能とは言うものの、あまりの うまさに、文楽を見ているような気になる。第1幕の、中国を舞台にした荒唐無稽な物語は(玉藻前曦袂 たまものまえ あさひのたもと)人形も大きく、動きも派手で たいへん面白い。高齢者ばかりで 滅亡の寸前と言われているのに、若い太夫や人形師が出ていたのは、よそからの応援だろうか。
 第2幕は日本に舞台を移し、新派悲劇的に泣かせる場だが、この時 床に出てきた太夫が 若い女性だったので、これは まずい、と思った。ところが 始まってみると素晴らしく、声もよく訓練されていて、言葉も聴き取りやすく、たいへんな熱演である。 歳は 20才ぐらいでもあろうか、清水杜若(かきつばた)という娘浄瑠璃師に、僕は すっかり心を奪われてしまった。義太夫と謡曲は男でなければ駄目だ という僕の偏見をすっかり崩してしまった。彼女の 凛々しい 語り口に、僕の眼は 人形の動きよりも 彼女の方に向けられることが多かった。
 最後の段で、三味線にまわった時の、周囲から自分を隔離させるような様子の彼女の姿は、何か貴いものに思われてならなかった。夏目漱石の『三四郎』には、当時の大学生が 娘義太夫に熱中するありさまが描かれているが、その心情が、今日 はじめて解った。」

娘義太夫

 娘義太夫の 明治から現代までを、徹底的に資料をあたって書かれた本に『娘義太夫』(水野悠子著、中公新書)があります。小説のあとで これを読むと、なかなか面白い。「知られざる芸能史」、「スキャンダルと文化のあいだ」と、二つも副題がついていて、実に懇切に 女流義太夫の盛衰が描かれ、最終章では 日本近代における女性問題の一端ととらえて論じています。ただ、娘義太夫がずっと演じられてきた 淡路の人形芝居について 何も触れていないのは、少々腑に落ちませんが。
 「娘義太夫って、何だろう?」と思われる方、これらの本の一読を お勧めします。そして、東京の国立劇場、大阪の国立文楽劇場、淡路島の人形芝居を ぜひ見に行ってください。私にとって義太夫は、素浄瑠璃よりも、あくまでも演劇としての人形芝居の「語り」であるからです。

辞典項目による「 インド・イスラーム建築史 」

新潮美術辞典

● 今年の冬、新潮社の『新潮世界美術辞典』の改訂稿を執筆していました。 この辞典が出版されたのは 1985年のことですから、もう 25年も前のことです。世界的に見ても優れた美術辞典だと思いますが、25年間 まったく改訂をしていなかったので、少々内容が古くなってしまいました。特にイスラーム美術やコロニアル美術の項は、当時は十分な扱いを受けていません。私は インドのイスラームと その後の建築の項の改訂を担当しました。
 その辞典項目を時代順に並べると、簡潔な「インド・イスラーム建築史」となることに気がつきました。今回 出版社の了解を得て、多くの写真を加えながら ここに掲載することとしました。項目相互の つながりを 重視して執筆しましたが、もともと一つの論文でもないので、少々不連続な流れは ご寛容を。 『新潮世界美術辞典』の改訂版は、来年出版の予定ということです。ここをクリック すると、そのページにとびます。
 インドのイスラーム建築の歴史は、デリーに イスラーム政権が誕生して以後、ムガル朝成立までの 各地の スルタン朝下における、300年にわたる「中世後期」と、ムガル朝がインドの大部分を支配した、やはり 300年にわたる「近世」とに二分されます。今回は 前者に含まれる項目をアップしますので、直線的な歴史の流れであるよりは、並列的な各地の 地方様式 ということになります。ムガル建築ばかりが取り上げられがちな インド・イスラーム建築においては、初心者には 少々物珍しく感じられる内容かもしれません。 この続きの近世ムガル朝時代の項目は、来月 アップする予定です。  (2010/09/01)

スルタンハヌキャラヴァンサライ(隊商宿)

スルタンハヌ

● 夏 たけなわですが、『イスラーム建築 』 の本は、あいかわらず出版されていません。どうぞ、出版社(彰国社)に強く抗議してください。
 今月は その第1章 「イスラーム建築の名作」 の中から、トルコの スルタンハヌにある「キャラヴァンサライ」を、『世界のイスラーム建築』のサイトの同名ページに載せます。 キャラヴァンサライ(隊商宿)というのは、鉄道ができる以前の街道に設けられていた、交易のための隊商の宿泊施設で、イスラーム世界で最も発展しました。特に オスマントルコ時代に アナトリア地方に多く建設され、その地理的位置が 情報活動上でも重要なものは、スルタンによって 国営施設としてつくられました。その場合には名前も スルタンハーン(王立隊商宿)と名づけられます(キャラバンサライ は、トルコ語では ケルヴァンサラユ あるいは(むしろ)ハーンと呼ばれました)。スルタンによるもので 特に名高いものは二つあり、ひとつは コンヤ〜アクサライ間の街道、もうひとつは カイセリ〜スィワス間の街道にあり、今回紹介するのは、アクサライの近くの スルタンハーンです。お読みになりたい方は ここをクリック してください。   (2010/08/05)

『 建築と社会 』7月号の 「インドの石 」

バラーバル丘の石窟寺院

● 関西の建築関連団体に「日本建築協会」というのがあります。大正 6年に「関西建築協会」として設立された、90年の歴史をもつ老舗団体です。 当初は 関西の建築家を大同団結しようとする組織でしたが、次第に 広く建築・建設関係のゆるい団体となったようです。その機関誌『建築と社会』の 7月号が、「建築と石」という特集をしています。執筆者は、長尾重武、三宅理一、神谷武夫、渡辺明次、倉片俊輔、竹内良雄、新見隆、黒田龍二の諸氏です。
私は「インドの石」と題して、インド最初の石窟寺院であるバラーバル丘の石窟寺院と、タージ・マハル廟などの白大理石のドーム屋根について書きました。お読みになりたい方は ここをクリック してください。  (2010/07/11)

スペインイスファハーン

ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ

● 毎月1日か2日に、この「お知らせ」欄に 新しい記事を載せるようにしていますが、しばらく スペインに行っていたために、今月の初めには 書くことができませんでした。ポアされたわけでは ありません。22年ぶりに訪れたスペインは、その後 オリンピックや万博を経て高度経済成長を遂げ、EUに統合されて、ずいぶんと様変わりしました。当時は 物価の安い旅行者天国で、ひなびた町や村を 存分に旅することができましたが、今はそういうわけにいきません。それに 観光客の激増で規制が厳しくなり、有名なところは 写真を撮るのも むづかしくなっています。撮影禁止、三脚使用禁止、常時閉鎖、曜日や時間による入場制限、バスの本数減、タクシー代の高騰 等々で、持っていったフィルムの三分の一は 使わずじまいでした。
 今回の旅行の目的は、スペインのイスラーム史跡を しらみつぶしに探訪して 撮影することでしたが、そのルート上にある ロマネスク建築も若干再訪しました。ところがロマネスクの修道院や聖堂は 大都市から離れたところにあることが多く、訪ねるのが 大変に困難な状況となっているので、今では 若者がロマネスク行脚をするのも むずかしく、ロマネスクの素晴らしさに 目覚めることもないでしょう。思えば、私は 世界の どの国へも 一番良い頃に旅をしたようです。もちろん当時も大変でしたが、ゾディアック叢書で調べたロマネスク建築を スペイン、フランス、イタリアと存分に見て回って、大きな感動を得たものでした。現在の 混雑をきわめるアルバンブラ宮殿でさえ、25年前には 三脚を使って撮影できたし、入場料も安いものでした。

 スペインは 日本よりも はるかに大きな国土面積をもっていますが、経済や人口の面では 日本よりも小国です。それにもかかわらず、旅行者の目には 日本よりも むしろ豊かに見えます。 それは 町々が美しいからです。ヨーロッパに比べて、日本の都市は醜いと、誰もが そう思うでしょう。 そうなった原因のひとつ、それも大きなひとつは、日本に建築家の制度が確立しなかったからです。建築教育(建設教育ではない)が 工学部で 工学教育の片手間に行われ、建築家は「設計技師」あるいは「ビルダー」としてしか 社会から認識されず、工務店や建設会社が設計部をもち、設計部員が社会への貢献よりは 会社の利益のために働き、「建築」という言葉が「アーキテクチュア」ではなく「ビルディング」や「コンストラクション」の意味に定義され、設計事務所は営利企業の株式会社となり、建築書(工学書ではない)が 書店の理工学書売り場に置かれるために一般の人の目にふれず、そもそも 私の書いた建築書は マフィアの妨害によって 出版さえも妨害され、建築界の人間は 誰もがマフィアを恐れて押し黙ったままという、こんな国で 美しい都市が造られるはずも ありません。
 日本の建築界(建設界ではない)は、じきに 韓国や中国やインドに追い抜かれるばかりでなく、早晩 崩壊するのではないでしょうか。近年の建築雑誌を見ていても、その流れは明らかです。そして 私が最も危惧するのは、このマフィアが支配する建築界の構図が 次第に世界に輸出され、将来、世界から 建築家が いなくなってしまうのではないか、ということです。
 スペインを旅行中に、日本の首相は 鳩山由紀夫氏から 菅直人氏に変わっていました。小沢一郎氏も退陣して、民主党が 当初の期待にそった クリーンな政党になり、国民への目線を堅持することになりそうなのは、喜ばしいことです。この閉塞した日本の社会も いよいよ変わっていくかもしれない という期待を、いくらかでも持たせてくれます。それに比べて、日本の建築界には 一向に改革の動きが現れず、マフィアの支配に黙したまま 自滅の道を たどろうとしているのは、情けない限り と言うべきでしょう。  (2010/06/16)



イスファハーンの王のモスク

●● 私の書いた本『イスラーム建築』は、奥付の 著者略歴欄に 私のホームページのアドレスや住所を載せようと しているから、という 誰にも信じられない理由で、出版社の彰国社が 出版契約も守らずに、出版拒否したままで3年以上が経過しています。 私は非暴力主義者ですから、テロに訴えることはなく、ただ HP 上で、言論によって 世の中に訴えています。で、今回も その第1章「イスラーム建築の名作」から、イスファハーンの「王のモスク」(イスラーム革命によって王制が倒されてからは「イマームのモスク」と呼ばれている)の項を この HP に載せて、本の内容を 皆さんに判断していただきたいと思います。お読みになりたい方は ここをクリック してください。

最近から (細密画入り写本)

古書の来歴

● 昔から本が好きで、それも 単に読むためというだけでなく、本そのもの というか、美しい本を見るのが好きです。となると、文字だけが並んだ本よりも、絵や写真や図面が入った、美術品のような本が好きです。建築の本(建設工学の本ではない)というのは、基本的に そうした本を主とするので、値段は高いけれども、ついつい 沢山買ってしまいます。インドやイスラームの建築史研究者となってしまいましたので、建築史学上の重要な本に 目を通しておく必要ができてきますので、古書を買うことが多くなります。そして、日本ではインドやイスラーム建築の本など ほとんど出版されていませんので、その ほとんどは洋書になります。今から15年以上前には、そうした洋古書を手に入れるのは 大変に困難でしたが、インターネットが発達してから というもの、世界中の古書店に いとも簡単に注文できるようになったので、実に便利になり、欲しい本がすぐに手に入るので、出費が かさむ一方です。
 そういうわけで、本に関する本 を読むのも楽しいので、あまり読まなくなった小説も、古書に関する小説 などと聞くと、つい手が 伸びてしまいます。ここに紹介する『古書の来歴』というのもそうで、500年ほど前に スペインで制作され、奇跡的に現代まで生きのびた(実在の)ユダヤ教の細密画入りの古写本にまつわる、現代と過去を行き来する物語は 実に面白く読みました。しかも、ジャイナ教の古写本『カルパ・スートラ』についての章を書いているところだったので、一層興味が増しました。古写本に関わった書家、細密画家、製本師、そして修復家の数奇な生涯、過酷な境遇、残酷な運命 などなど。
 中世の修道院の写本室での 細密画入り写本制作というと、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』という小説を思い出します。ショーン・コネリー主演で 映画にもなりました。あの場合は ヨーロッパにおける古写本の話でしたが、今回の『古書の来歴』は 旧ユーゴスラビアの サラエボに伝わる古写本で、ユダヤ教の「過越しの祭」の式次第と 朗読される詩篇が書かれた『ハガダー』、その歴史を 事実とないまぜにした小説家の想像力でたどると、サラエヴォから ヴェネツィアへ、セビーリャへ、エルサレムへと 物語が遡ることとなり、ユダヤ教、イスラーム教、キリスト教が さまざまに交錯する混沌とした世界へと導かれます。

 この本の邦題は『古書の来歴』ですが、原題は "People of the Book" で、訳書の表紙にも 大きく書かれています。多くの日本人は この原題を見て、この小説には『サラエボ・ハガダー』と呼ばれる古写本をめぐって、中世から現代までの、さまざまな時代の さまざまな人物が 登場することから、「ある古書をめぐる人々」として、この題名がついたのだろう と思いがちですが、People of the Book というのは もっと別な意味をもっていて、著者は むしろ その意味に基づいて この題名をつけたのです。簡単に言えば、これは「啓典の民」という意味です。 'The Book' というのは「啓典」あるいは「聖書」という意味で、イスラーム教の「聖書」は『クルアーン』(コーラン)ですが、唯一の神から下された(啓示、神の言葉としての)ユダヤ教や キリスト教の『聖書』をも、ムスリムは 啓典として認めます。したがって、それらの啓典に基づく宗教は イスラームにとっての兄弟宗教であり、その信者、すなわち ユダヤ教徒とキリスト教徒は、全くの異教徒や異端、あるいは 無明の民ではなく、友邦なのです。 それを、「啓典の民 (People of the Book)」と呼びました。この小説では、本来 友邦である筈の三宗教の徒が、互いに相手を抹殺したり 文化を破壊したり、あるいは逆に 守ったりする葛藤が描かれるので、それら三者をひっくるめた形で「啓典の民」という題名をつけたのです。
 しかし、ユダヤ教徒は 'The Book' というのを、もう少し狭く、「ヘブライ語の聖書」、すなわち "Old Testament"(旧約聖書)と捕える傾向があり、その場合の 'People of the Book' というのは、ユダヤ教徒のことです。この小説では 三宗教の葛藤が描かれますが、とりわけ ユダヤ人の受難が 徹底的に描かれます。たいていのユダヤ人が この書の題名を見ただけで そう思うように、著者(オーストラリア人、女性)の ジェラルディン・ブルックスは、ユダヤ人(の血をひいている)のでしょう。 それが、小説の主人公の来歴に 反映しているのだと思われます。
 この小説は、現代の古写本研究と修復の学問世界の舞台である ニューヨーク、ウィーン、パリ、ロンドン、シドニーと行きつ戻りつしながら、主人公の女流古書鑑定家の 母親との葛藤を織り交ぜながら、テンポよく進む描写が、見事な翻訳とあいまって、手に汗を握る 知的なエンタテイメント小説となりました。お勧めです。 ランダムハウス講談社刊 2,300円。  (2010/05/01)



ISLAMIC ART

●● ヨーロッパを旅していると、美術館や修道院が所蔵する 古写本の細密画を見て、写真では十分に伝わらない その美しさに魅了されます。そうした細密画が 最も発展したのは、イスラーム世界だといえましょう。細密画というのは 独立した絵画作品として描かれることもありますが、本来は 本の挿絵として生まれたものです。偶像崇拝が禁止されていることから、モスクやマドラサなど、公的施設、とりわけ宗教建築においては まったく絵画(壁画)がありませんので、絵画は、裕福な人が私室でプライベートに楽しむ 写本の挿絵として描かれました。
 最も盛んだったのはペルシア (イラン) と インドだったと言えます。日本では、そうしたイスラームのミニアチュールに接する機会がないので、あまり知られていません。で、その魅力を知るには、欧米で出版された良い画集を見ることです。 向こうでは沢山の本が出版されていますが、初心者への入門書の決定版 とでもいうべき豪華本が、2年前に出版されました。『イスラーム美術の名作』という本で、イスラームの建築と美術の権威、オレッグ・グラバールが執筆しています。36cm×28cmという大型本に、目の覚めるような すばらしいカラー印刷で 各地方の名作が掲載されています。なかでも、中世アラブの語り物として名高い『マカーマート』につけられた、アル・ワシティの作と伝えられる 13世紀の細密画が 19点も載っているのは圧巻です。(「騙しの長老アブー・ザイド行状記」というべきピカレスク小説の本文の訳は、平凡社・東洋文庫『マカーマート』全3巻に、堀内勝氏の名訳と注で出版されています。)
 この本は、イスラームの細密画とは どんなものか知りたいという方に、最もお勧めです。 本はアマゾンでも買えますが、安く買うには 古書店を さがすことです。私は新品を、送料とも 4,300円で買いました。
MASTERPIECES OF ISLAMIC ART, The Decorated Page from the 8th to the 17th Century : Oleg Grabar, English ed. 2009, Prestel Verlag, Munich, London, New York.



カルパ・スートラ表紙

●●● 「ジャイナ教の建築」の中の「『カルパ・スートラ』の写本」の章は、気軽に書き始めたものの、正確を期すために、所蔵する多くの本を読みながら書いているうちに どんどん長くなり、時間が足りなくなりで、いまだに完成せず、未定稿のまま載せてあります(申し訳ない)。『カルパ・スートラ』という聖典名については、初めて耳にする方が多かったことでしょう。インドに何度か行かれた方は、どこかの美術館で 目にされているはずですが、『カルパ・スートラ』という名前を知らなければ、あまり記憶に残らなかったかもしれません。で、そうした方、あるいは ジャイナ教に興味のある方に、本を紹介しておきます。
 残念ながら『カルパ・スートラ』あるいは ジャイナ教の細密画について、上記のイスラームのミニアチュールの本のような 見ごたえのある美術書というのは、インドでも欧米でも出版されていません。経典としての『カルパ・スートラ』の訳本は、日本では 今から 90年も前に 鈴木重信氏が翻訳して、『耆那教聖典』の中に「聖行経」の題名で、他の聖典とともに収められています。これは改造社が「世界聖典全集」という大規模な出版をしたので 可能になったことです。今でも古書店で入手可能です。英訳本は、K.C. ラルワニ訳 " KALPA SUTRA OF BHADRABAHU SVAMI" が通常 用いられていて、多少の図版が入っています。

カルパ・スートラ

もっと、見ても楽しい『カルパ・スートラ』が 1977年にインドで出版されていたらしく、4年前に新版が出たのを 今年になって初めて知り、取り寄せました。インドにしては きれいな造りの上製本で、プラークリット語の原文と ヒンディー語訳、英語訳が対訳で載せられていて、そこに、ムンバイの プリンス・オヴ・ウェールズ博物館所蔵の 16世紀の古写本『カルパ・スートラ』からの、細密画の複製 36点が貼り込んであります。この複製が 日本の美術印刷並みであれば 申し分ない本になったのですが、残念ながら 少々 写真製版と印刷のレベルが低いのが難点です。
 とはいえ、『カルパ・スートラ』の本を1冊持っていたい、という方には お勧めです。本の大きさは 27 x 14.5cmという横長の本で、古写本のように、ページを下から上に めくっていきます。私は古書店で、送料とも 3,100円で買ったのですが、しかし今 調べてみると、4年前の本だというのに、アマゾンその他、現在はインターネット上で この本を扱っているサイトは無いようです。入手希望の方は、インドに行った時に さがしてみてください。現地なら 1,500円 くらいで買えるでしょう。
KALPASUTRA : Mahopadhyaya Vinayasagar (ed. and tr. to Hindi), Mukund Lath (tr. to English), Chandramani Singh (on Paintings), 3rd ed. 2006, Prakrit Bharati Academy, 440pp.



バルビエ表紙

●●●● ヨーロッパにおける 細密画入り写本の伝統を受け継いでいるのは、文学者と画家の組み合わせによる、近代の「挿絵本」です。オーブリー・ビアズリーの絵で飾られた ワイルドの『サロメ』や、ウィリアム・モリスのケルムスコット本で バーン・ジョーンズが挿絵を描いた『チョーサー作品集』は、19世紀末の最高傑作に数えられます。しかし それらは いずれもモノクロの絵であって、カラーの挿絵が普及するのは アール・デコ(1925年に展覧会)の時代です。それを代表するのが、日本の浮世絵版画の影響を強く受けたフランスの画家、ジョルジュ・バルビエ (1882-1932) です。彼は ファッション画で名をなしましたが、私は むしろ彼の挿絵本に魅了されます。ゲランの 『散文詩』、ピエール・ルイスの『ビリチスの歌』、ラクロの『危険な関係』、アンリ・ド・レニエの『ラ・ドゥーブル・メートレス』など、約 30冊の挿絵本を制作しました。これらは一種の「写本」と言うこともでき、いずれも 半ば手製なので、小部数の出版でした。
 荒俣宏氏や鹿島茂氏は、こうした 19世紀末から 20世紀初めのフランスの挿絵画家たちを 著書で紹介していますが、その最高の画家であると 誰もが認めるバルビエについて、あまり詳しくは書いていません。その原因は、バルビエに関する評伝や研究書が 1冊も出版されていなかったからです。挿絵画家やファッション画家は 二流の芸術家と見なされていたのでしょう。近年 彼らの再評価が進み、特にバルビエは 2008年から 2009年にかけて、イタリアの ヴェネチア市立美術館で回顧展が行われ、その記念に出版されたのが、この本です。バルビエについての 最初のまとまった本で、『ジョルジュ・バルビエ、アール・デコの誕生』と題され、10人の研究者が執筆し、多くの作品がカラーで掲載されています。優雅で、ちょっとエロティックな現代の「細密画」の作品集として、お勧めです。アマゾンは こちら をご覧ください。古書店をさがすと、もっと安く買えます。
GEORGE BARBIER, The Birth of Art Deco : Barbara Martorelli (ed.), 2009, Marsilio, Musei Civici Veneziani, 28 x 21cm-176pp.

『 カルパ・スートラ 』の写本と、 < 株式会社 >

カルパ・スートラ

● 昨年の春に、アンドレア・マルコロンゴという イタリアの修復建築家からメールがきて、ラーナクプルのアーディナータ寺院 の実測をして、精巧なCAD図面にまとめたという。その主要なものを 論文とともに送ってくれたのを見て、図面の美しさに感銘を受けました。そこで、もし彼が希望するなら、私のホームページの中の「ジャイナ教の建築」のページに、それを紹介するスペースを提供する と申し出たところ、彼は喜んで、ぜひそうしたいとのことでした。ところが、またしても マフィアから圧力がかかり(彼らは すべての私の電話を盗聴し、メールを盗み見ています)、彼は図面も英訳論文も送ってこず、音信を絶ってしまいました。(こういうことが しばしば起こ るので、こちらは馴れっこになっていて 驚きませんが。)
 そこで、「ジャイナ教の建築」の付録として せっかく用意したスペースは、私が所蔵する『カルパ・スートラ』の写本の紹介に充てることとしました。『カルパ・スートラ』というのは ジャイナ教の聖典で、マハーヴィーラを はじめとする ティールタンカラの伝記を描いたものです。写本には しばしば細密画(ミニアチュール)が描かれていて、インドの絵画史において 重要な役割を果たしました。 インドを旅行していると、各地の美術館で 時々目にするものですが、日本では まずお目にかかることがないものです。
 解説を3月中に書き終えるつもりでいましたが、例によって、書き始めると次第に長くなってしまい(「ジャイナ教の建築」の中で、一番長い章となってしまいました)、時間足らずで まだ未定稿ですが、ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2010/04/02)



●● 月遅れの建築雑誌をパラパラとめくっていたら、『新建築』2月号の巻頭エッセイに、建築家の仙田満氏が「創造性を喚起する社会へ」という文を書いているのが目につきました。仙田氏は 日本建築家協会や 日本建築学界の会長も務めた方です。
 建設省をはじめとして、公共建築の設計者(設計事務所)を選ぶのに、設計料の入札で決めていることを嘆いていますが、では、本当に それを なくしたいと思っているのでしょうか。日本では 驚くべきことに、大多数の設計事務所が 株式会社 の形態をとっています(有限会社でも同じことです)。 これは 建築家が、自分の事務所が 営利企業であることを宣言していることになります。こんな国は、日本以外に 世界のどこにもありません。
 設計事務所の人は 工事会社やメーカーを「業者」と呼びますが、官庁では、営利企業のことを「業者」と呼んでいます。そうであれば 株式会社の設計事務所も「営利業者」の扱いになるわけですから、そうした「設計業者」を選定するのに、最低価格で入札をする「会社」を選ぶことに、矛盾はありません。
 病院(医院)や 法律(弁護士)事務所は 株式会社となることはできませんから、「業者」とは呼ばれません。それらは、金儲けを目的とする業務であってはならないからです(そういう、公共に奉仕する業務を、本来は「プロフェッション」と呼びます)。したがって、これらを選定するのに、価格競争の「入札」など しません。また、画家や音楽家のような 芸術家もそうです。彼らは「業者」ではないのですから、価格競争ではなく、その仕事にふさわしい 才能をもった人が選ばれます。
 建築家が、株式会社の社長をやっていながら、弁護士や作曲家の場合と同じように 建築家を選んでほしい というのは、筋が通りません。仙田氏の事務所も、株式会社なのでは ないでしょうか。

 「私たち建築家 および建築関係者は 日本を「創造性を喚起するシステムを持つ国」 に変えるべく、粘り強く発言し続けていかねばならない」と、本当に そう思っているなら、まず 株式会社であることを やめるべきです。建築家を設計料の 入札で選ぶ(つまり、最も設計の手を抜く、と表明する設計事務所を選ぶ)という、世界のどこにもない、日本だけの堕落したシステムは、大多数の設計事務所が株式会社であるという、世界のどこにもない 堕落したシステムに 対応しているのです。
 春、4月となって、大学も 新学期が始まりました。新しい気持ちで 建築を学ぼうとしている「建築科」や「建築学科」の学生諸君は、このHPの中の、「原術へ」のページの「解題」を ぜひ読んでほしい。そして「文化の翻訳」、「何をプロフェスするのか」、「あいまいな日本の建築家」を読んで、「アーキテクチュア」とか「アーキテクト」の意味を知ってほしい。そして これらについて、友人と議論してほしい、と願っています。

 どうぞ、何でも ご意見をお寄せください。メールはこちらまで kamiya@t.email.ne.jp

「 エルサレム岩のドーム 」

岩のドーム

● 今月もまた 『イスラーム建築 』の第1章「イスラーム建築の名作」 の中から、「エルサレムの 岩のドーム (イスラエル) を、『世界のイスラーム建築』のサイトの 同名ページに載せることにしました。これは、イスラームが誕生してから、最初に建てられた本格的なイスラーム建築です。しかしモスクではなく、キリスト教の殉教者廟にならった 円堂(ロトンダ)で、太古からエルサレムの神殿の丘(モリアの丘)にあった「岩」の上に、ドーム屋根を架けたものです。その岩というのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教ともに先祖と認めるアブラハム(イブラーヒーム)が 息子イサクを神への犠牲として捧げようとした岩であり、また『クルアーン』の中で 預言者ムハンマドが「夜の旅」をして、そこから天へ昇天したという伝説の岩です。私が訪れたのは、もう 24年も前のことですが、当時も今も パレスチナは紛争地で、安定した平和は訪れません。こういう世界は、いったい いつまで続くのでしょうか? ここをクリック すると、「岩のドーム」のページにとびます。   (2010/03/01)

● 出版拒否が続いている間に、当の出版社から、火事場泥棒のようにして 本を出す人がいるのには 驚きました。

「 イブン・トゥールーン・モスク 」

カイロ

● 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。 そこで 今月も その第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「イブン・トゥールーン・モスク (カイロ) を、『世界のイスラーム建築』のサイトの同名ページに載せました。エジプトのイスラーム建築というのは、ほとんどが首都のカイロにあり、その数は膨大です。その中で 現存最古のモスクが イブン・トゥールーン・モスクです。また、「マリのイスラーム建築」で、ジェンネの大モスクのプランの もととなったと書いた、アラブ型の列柱ホール・モスクです。 日本の平安時代初期にあたる 9世紀のレンガ造のモスクですが、すっかり修復されて、今も礼拝に使われています。お読みになりたい方は ここをクリック してください。いつか 時間ができたら、「カイロのイスラーム建築」というページを 作りたいと思っています。  (2010/02/01)

謹賀新年 2010

カイラワーン

● 21世紀も 早や10年目にはいりましたが、今年もまた 昨年と同じ挨拶で始まります。『イスラーム建築 』の本は、彰国社が3年にわたって出版拒否をしていますので、いまだに出版されていません。長年続いた自民党政権が民主党政権に変わりましたが、建築界には変化がなく、腐りきったままです。東大は村松伸准教授の無法行為を容認したままですので、私が彼から依頼されて書いた「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」を収録する『建築史家たちのアジア「発見」』も、原稿を渡してから8年以上になりますが、いまだに出版されていません(風響社)。
 また、私が翻訳した、イスラーム建築史の最良の本『イスラムの建築文化』は、長いこと絶版になっているために入手困難で、古書店で 10万円もの値段がついています。 そこで、需要にこたえるべく、もっとサイズを小さくした廉価版を出版してほしいと、鹿島出版会に 4年前から頼んでありますが、一向に実現しません。 建築界の人間は皆、マフィアを恐れて沈黙しています。 実は、建築界だけでは ないのです。マフィアの圧力は日本の あらゆる分野に及んでいますので、一般書の出版社でさえも 手出しができないのです。 北朝鮮の全体主義を非難できるような国では ありません。
 そういうわけで、日本におけるイスラーム建築への一般の理解は、諸外国にくらべて遅れるばかりですが、今月は、『世界のイスラーム建築』のサイトに、『イスラーム建築』 の第1章 「イスラーム建築の名作」の中から、「カイラワーンの大モスク」を転載することにしました。カイラワーンはチュニジアの京都ともいうべく、建築遺産の多い古都で、私の好きな町です。その中でも 大モスク(シディ・ウクバ・モスク)は、イスラーム初期の重要なモスクです。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2010/01/01)



コナーラク

●● TBSテレビで 毎週 日曜日に放映されている『 THE 世界遺産 』のシリーズ番組で、11月に「タージ・マハルとアーグラ城」の監修をしましたが、続けて インドの「コナーラクの太陽神寺院」の監修をしています。この HPのトップ・ページの写真としても使っている、スーリヤ寺院です。「ユネスコ世界遺産」の中の コナーラクのページは こちら を ご覧ください。TVの放映は、今月、1月 24日の夕方6時です。   (2010/01/10)

マリイスラーム建築

ジェンネ

● 11月に、アフリカの マリ共和国 に行ってきました。今までエジプトやアルジェリアなど、アラブ・アフリカへは何度も行っていますが、ブラック・アフリカに行ったのは初めてです。土の文化圏におけるイスラーム建築の調査と撮影が目的でした。マリの第一印象は、30年前の南インドに よく似ている、ということでした。暑さも天候も、町の様子も、人々も。通貨が固定相場なので 両替率が悪いのと、公共交通の不便なのには閉口しましたが、治安がよいのには感心しました。 有名な ジェンネの大モスクに行ったら、ユネスコ世界遺産に登録されているにもかかわらず、一部が破壊されているのに驚きました。それは、なぜだったのでしょうか? 詳しくは、『世界のイスラーム建築』のサイトに「マリのイスラーム建築」というページをつくり、概要を載せましたので、お読みください。 ここをクリック すると、そのページに飛びます。  (2009/12/02)



Rokia Traore

●● マリの歌姫、ロキア・トラオレ を紹介します。アフリカ音楽というと ドラムを中心としたにぎやかな音楽を思い浮かべる人が多いと思いますが、ロキア・トラオレは むしろ静謐な、心に響く歌を歌う シンガー・ソング・ライターです。1974年生まれというから、今 35歳。初めて聴いたのは、昨年の春にモロッコに行った時、エッサウイーラの街に流れていた美しい歌を、そのレコード屋で歌手の名を尋いたら、それはモロッコではなく マリの歌手だとわかりました。当時は知りませんでしたが、マリは音楽活動の盛んなところで、彼女のほかにも サリフ・ケイタを初め、世界に知られた歌手が多くいます。その時買ったのは 『BOWMBOI 』で、すっかり感心しましたが、後半の録音が悪いのには参りました(海賊版だったのだろうか)。彼女は 4枚のCDを出していて、イギリスやフランスでいろいろ賞をとっていますが、おすすめは 最新の『チャマンチェ』で、アマゾンでも買えます。『BOWMBOI 』の中の"Mbifo" や、『チャマンチェ』の中の "Dounia" など が ユーチューブで聴けます。 彼女のホームページは こちら です。

コルドバのモスクと、 TV番組・ユネスコ世界遺産

メスキータ

● 『イスラーム建築 』の本は、いまだに出版されていません。そこで、今回は その第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「コルドバのメスキータ(大モスク)」 (スペイン) を、本のデモンストレーションとして、『世界のイスラーム建築』 のサイトの同名ページに 載せておくことにしました。 かつてイスラーム圏に属したスペインの 最初のイスラーム建築作品で、アルハンブラ宮殿と並んで、南スペインに旅行する人は必ず訪れる建物です。お読みになりたい方はここをクリックしてください。建設段階を示す平面図も載せました。  (2009/11/01)



タージ・マハル廟

●● TBS テレビで 毎週日曜日に、連続番組『 THE 世界遺産 』が放映されています。もう 13年以上も続いている長寿番組で、以前は夜の 11時半からでしたが、今は新シリーズとなって、夕方の 6時からの放送になっています(中高年向けの教養蕃組から、若い世代向けの番組への変化ということでしょうか)。そこで新シリーズとして、かつて取り上げたサイトも作り直すことになり、10年前に私が監修した 「タージ・マハルとアーグラ城」も、再度 私の監修で、新たに制作することになりました。今回は 四分庭園 を造園している細密画や、この HP の「ユネスコ世界遺産(インド)」中の「タージ・マハル廟」で作った、上の写真も出てきます。放映は今月、11月 22日の夕方 6時です。

中国北部と、 このサイトへの リンク

開封・清真寺

● 「中国北部のイスラーム建築」は、大同(だいどう)のあとを受け、太原(たいげん)、沁陽(しんよう)、鄭州(ていしゅう)と進んで、やっと最後の開封(かいほう)まで 書き終りました。 これで「中国のイスラーム建築」は、個別の建築サーヴェイの記述を全部終わりました。 ずいぶん長いこと かかりましたが、これで 中国の知られざるイスラーム建築の主要なものを すべて、日本で初めて紹介したことになります。
当初の心づもりよりも かなり詳細になってしまいましたので、各章を前後2つのパートに分割して、ダウンロードの時間を軽減しました。分量としては、中国南部の Part-1 が 12ページ、 Part-2 が 11ページ、中国西部の Part-1が 12ページ、Part-2が 22ページ、中国北部の Part-1が 15ページ、Part-2が 14ページ、全部を合計すると 86ページにもなります。
あとは総論として、「中国伊斯蘭教建築の特質」を書いていく予定です。 これも 写真を駆使した ヴィジュアルなものになる予定ですので、ご期待ください。 ここをクリック すると、『世界のイスラーム建築』のサイトの「中国北部のイスラーム建築」のページに跳びます。  (2009/10/01)



●● この HP「神谷武夫とインドの建築」に、リンクを張ったことのある方々へ。

リンク・アドレスの変更を お願いします。最近、人に教えてもらったソフトで 被リンク・サイトの数を調べたところ、このサイトには 全部で 2,500以上のリンクが張られていることが わかりました。一方、この春に HP を インド関係とイスラーム関係のふたつに分離し、「神谷武夫とインドの建築」のサイトには新しいアドレス http://www.kamit.jp/ を充て、それまでのアドレス http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/ は、「世界のイスラーム建築」という新しいサイトで用いることになりました。ところが、ほとんどのリンクは「神谷武夫とインドの建築」というタイトルに、旧アドレスで張られたままなので、グーグルやヤフーで検索すると 混乱が生じてしまい、検索順位が低くなってしまうことがわかりました。 検索順位は、単にリンクの多さだけではなく、何という言葉にリンクが張られているか ということも 重要だったのです。そこで、このサイトにリンクを張ったことのある方は、それが 何年前のものであっても、ぜひ思い出して、リンク・アドレスを修正していただくよう お願いします。ブログの、ほんの片隅のものであっても、修正していただけると 有難いです。ついでに、「世界のイスラーム建築」にも 新しいリンクを張っていただけると、なお嬉しいです。

衆議員選挙 と、< マフィア >

衆院選

● 8月 30日に4年ぶりの 衆議院選挙 が行われ、民主党が圧勝しました。民主党は、党のメンバーの由来を見ても、自民党と それほど違いがある政党とは思えませんが、しかし、政権を担う与党と 内閣の構成員がガラリと入れ替われば、政官業の癒着を 一時的にせよ、かなり 断ち切ることができることでしょう。そして日本のよどんだ建築界にも、多少は凛とした風が吹いてくるかもしれません。そう 期待したいところです。
 箱物行政を見直すこと、企業の政治献金を禁止すること、官僚の天下りを廃絶すること、これらが実現すれば、日本の社会も 建築(建設)界も どれほど良くなることか。(民主党の前代表が 西松建設とツルんでいたことを考えると、いったい何ほどのことができるのかと、心もとなくも思えますが)。
 政治の世界で一向に変革が起こらず、閉塞的な情況が長く続いた日本で、こうした思いがけぬ大変動が起こったのは、ひとつには 若い世代への、昨年のアメリカの大統領選挙の影響が 大きかったからに違いないと思います。前職の大統領とネオコンの政治が あまりにもひどかったので、若者たちが立ち上がって 民主党のオバマを当選に導いたことは、若者たちの 異議申し立て が 社会を変えるひとつの力になるということを、日本の若者たちの心に強く印象づけました。 似たような情況にある日本でも 意思表示をしようと、それまで選挙に無関心だった若者たちが 投票所に行ったのに違いありません。
 思い出すのは、今から 40年ほど前、日本の若者たちが フランスの学生の反乱(5月革命)に大きく影響されて、全国各地で立ち上がったことです。独創性に欠けながらも 世界の動きに反応して、世の中に、大学に、異議申し立てをしたのです。 当時の大学町だった神田を、日本のカルチェ・ラタンにすると叫びながら。しかし その全共闘世代も 今はすっかり活力を失い、かつて自分たちが異議申し立てをしたところの 順応主義者、守旧勢力となってしまったのは、情けない話ではありますが。   (2009/09/01)



●● 私のHPにおいて、マフィア というのが 何のことか解らない、というお便りをいただくことがあります。日本のマフィアと言えば、暴力団のことを思い浮かべる人が多いでしょう。しかしながら、私のいうマフィアは、暴力団とは 直接の関係はありません。
 マフィアの定義は 人によって いろいろですが、社会の暗部で、さまざまな(反社会的な)秘密工作 をする組織を、ここでは マフィアと呼んでいます。たとえば、坂本弁護士一家を殺したり、地下鉄サリン事件を起こしたりしたのは、ある宗教マフィアです(あとで オーム真理教と わかりました)。朝日新聞の神戸支局を襲撃して 記者を殺害したのは 政治マフィアでしょうが、日本の社会には 大小さまざまなマフィアがあります。
 戦後の日本で 特に発達したのは 業界マフィアで、多くの業界にあります(談合などをします)。巨大な業界マフィアは 政界に多大の政治献金をすることで 政治家も、そしてジャーナリズムも あやつり、またその業界利益を守るためには、CIA や 戦前の特高のような秘密機関によって、業界の不利益になる言動をする者(つまり、正しいことを言う者)を迫害し、言論を封じる(抹殺する)のです。

ファーガソンインド建築 」の英訳

ファーガソン

● 東大・生産技術研究所の村松伸 准教授から、『 建築史家たちのアジア 発見 』という本を 風響社から出版するので、建築史家の「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」について書いてほしい、という依頼を受けたのは 2000年のことです。これは、近代において、建築史家たちによって アジア諸国の「建築史」が形成されていった過程を、現在の建築史家たちが分担執筆するものです。
 ところが、2001年の7月に原稿を渡したにもかかわらず、それから8年たった今も、出版されていません。 何度も催促したにもかかわらず、彼はそれを無視し、しかも、この東大教員の無法行為について相談した、東大・生産技術研究所の 西尾茂文 所長は、「大学の教員は、契約を守らなくとも、嘘をついて人の論文発表の妨害を続けようとも、自分の責任分担を放棄しようとも、研究活動の自立性のゆえに 許されることだ」と主張して、村松准教授の無法行為を擁護しました。
  さらに 当時の東大・佐々木毅 学長に手紙を書きましたが、これはまったく返事もせずに、同じ態度を示しました。戦時中に 大政翼賛会を主導した日本の最高学府は、現在もなお マフィアの言論抑圧に手を貸している というわけです。 その詳しい経過は、「東大の常識は世間の非常識」 に記録してありますので、ここをクリック して お読みいただければ幸いです。
   この 出版されていない「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」を 関心のある方々に読んでもらうために、この HP に載せてありましたが、このたび、その英訳を 全部終えました。すでに できている 韓国語訳 とあわせて、日・英・韓の3ヵ国語版が ネット上に出そろったわけです。本国のイギリスでも出版されていないファーガソン論が、どんな風に英米で受け止められるか、反応が楽しみです。興味のある方は、ここをクリック して ご覧ください。   (2009/08/01)

中国西部と、HPの英語版

カシュガル

● 今年のはじめから、毎月1日にサイトを更新して「お知らせ」欄に載せることにしてきましたが、4月1日に「サイトの編成替え」について書いたあとは、そのことに膨大な時間を費やしてしまったあとなので、5月はお休みとなってしまいました。実を言うと、4月にエジプトとトルコに撮影旅行に出かけ、そのスライドの整理と書き込みに、またしても 大きく時間をとられてしまったのです。で、だいぶ時間がかかってしまいましたが、「中国西部のイスラーム建築」が やっと全部終わりました。 当初は 簡単に HP に載せるつもりだった「中国のイスラーム建築」が、書いているうちに次第にエスカレートし、写真枚数も増え、図面も載せるようになってしまいました。この「中国西部」は、最もイスラーム教徒の多い地区なので、扱う建物数も多く、「中国南部」が全部で 21ページだったのに対して、33ページにも 増大してしまいました。 時間が かかったのも むべなるかなです。これから 中国北部の続きを書いていきますので、請う ご期待。 ここをクリック すると、『世界のイスラーム建築』のサイトの「中国西部のイスラーム建築」のページに跳びます。   (2009/07/01)



Q&A page

●● この HP は 英語版 もつくっていますが、英訳は なかなか進みません。 韓国語版もそうですが、かつて協力してくれた人、協力しようとしていた人たちが、マフィアの脅しにあって、あるいは その報復を恐れて、逃げ出してしまうからです。 そして今回、インド関係のサイトと イスラーム関係のサイトを分離してみたら、今まで英訳したのは すべてインド関係であったことに気がつきました。そこで、今年は 私自身がイスラーム関係の記事を英訳していくことにし、まずは「イスラーム建築入門」の中の、第1番目の「イスラーム建築 Q&A」を英訳しました。
 日本では、私の書いた『イスラーム建築 』が 彰国社の出版拒否にあって、一般の人々に読んでもらえず、イスラーム文化への理解が進みませんが、欧米では たくさんの美術書が イスラーム建築の本として出版されていますので、いまさら入門編でもない とも言えましょう。それでもアメリカでは バラク・オバマ氏が大統領に就任したことによって、イスラーム諸国との対話ムードも醸成されてきました。で、まあ 世界の初心者のために、 私のイスラーム建築入門編の 英語版にも 意味があるかなと思っています。どうぞ 外国のお友達に 紹介してください。これから続けて、「イスラーム庭園」をはじめ、以下の章も英訳していく予定です。ここをクリック すると、『INTRTODUCTION TO ISLAMIC ARCHITECTURE』 のサイト中の、「QUESTIONS and ANSWERS」 のページに跳びます。

サイトの編成替え ( HP アドレスの変更 )

世界のイスラーム建築

「神谷武夫とインドの建築」のサイトは、年々ページが増えて 全体の容量が大きくなりすぎてしまったために、インド関係のサイトと イスラーム関係のサイトに 分離することになりました。
このたび新しいドメインを取得しましたので、「神谷武夫とインドの建築」の新しいアドレスは、シンプルな http://www.kamit.jp/ となりました(kamit は Kamiya Takeo の略です)。 このサイトに リンクしていただいている方々や団体は、リンク・アドレスの変更を お願いします。



●● 旧アドレス http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/ は、新設の「世界のイスラーム建築」というタイトルのサイトとなりました。 この分離に伴い、文献目録も二つに分け、イスラーム関係の書籍は「イスラーム建築・文献目録」として そちらに入れ、国別の項目を立てています。 「お知らせ」欄は、今までどおり「神谷武夫とインドの建築」のみに置いて、イスラーム関係の新しい記事も ここから跳ぶようにします。



● サイトの分割と新設に 膨大な時間をとられ、「中国のイスラーム建築」の執筆は、またしても お休みとなりました。今月はまた カイロとイスタンブルに出かける予定なので、いったい中国は いつになったら終わるのやら。分割した2つのサイトは、まだ ページ相互のリンクの不具合などがあるかもしれませんので、お気づきの方は メールで 御一報ください。   (2009/04/01)

最近の本から

オバマ

● アメリカに、バラク・オバマ新大統領が誕生しました。私も 評判の彼の演説集を買ってきて、CD を聴きました。 彼が 率直に、そして力強く、国の理念を語り、理想を語って 大統領に選ばれたのは、実に素晴らしいと思います。理念や理想を まったく捨て去ったかのような日本と、何という違いでしょうか(日本の政治家も、日本建築家協会の会員諸氏も、ぜひこの本を読み、聴いてほしい)。
 オバマが初めて全米の注目を集める演説をしたのは、2004年の民主党大会の基調演説「大いなる希望」で、このとき彼は 42歳。イスラーム教のムハンマドが初めて神の声を聞いて、人々に伝え始めたのは 40歳の頃でした。そして ブッダが悟りを開いて、サールナートで説法を始めたのは 35歳の頃と伝えられます。ムハンマドやブッダが人々に語りかけて その心をつかんだのは、このオバマの演説のようだったのではないか、という気さえします。
 ところで、大統領就任演説 において オバマが、アメリカは「キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥ教徒、そして無宗教の人々の国である」と述べたことを 意外に感じた人がいることでしょう。 アメリカに ヒンドゥ教徒がいるのかと。実は アメリカには、180万人ものヒンドゥ教徒がいます。ほとんどは インドからの移民と その子孫でしょうが、すでに 150年の歴史をもっています。そして彼らの必要を満たすために、各地にヒンドゥ寺院が建てられ、その数は 450 にも達しています。

HinduTemples

 フロリダ州のオーランドには、アメリカ・ヒンドゥ大学(HINDU UNIVERSITY OF AMERICA)さえも 設立されました。この大学からは 出版社と共同で、カナダを含む「北米のヒンドゥ寺院」(HINDU TEMPLES IN NORTH AMERICA)という 大きな写真集も出版されています。ヒンドゥ寺院の概説から各地の主要な寺院の解説まで なされていて、巻末には、寺院の建築家たちも紹介されています。初版の発行部数が5万部というのも驚きです。興味のある方は ここ をご覧ください。



●● さて オバマ大統領は、パレスチナの和平交渉を推進すべく、新しい中東特使に 元連邦上院議員の ジョージ・ミッチェルを任命し、イスラエルに派遣しました。私が翻訳・出版した『ヒンドゥ教の建築 』お持ちの方は、その著者である建築史家と 同姓同名だなと 思われたことでしょう。しかし 中東特使の綴りは GEORGE MITCHELL で、建築史家の方は GEORGE MICHELL です。翻訳当時、それを ジョージ・ミッチェル と読みましたが、その後 彼と親交を結ぶようになり、そのファミリー・ネームは フランス語風に ミシェル と発音するのだと わかりました(ついでながら、オバマ大統領の夫人のファースト・ネームも ミシェル で、これは女性形の e が語尾についた MICHELLE なので、完全にフランス名です)。本については もう直せませんが、この HP に出てくる他の部分は、ジョージ・ミシェル と書きなおしました。

 アメリカの前政権は イスラームを敵視していましたが、オバマ大統領は イスラームと協調路線を とろうとしていて、イランとの関係改善も図っています。大いに歓迎すべきことです。それに引きかえ日本では、私の『イスラーム建築 』の出版が妨害されていて、人々の イスラーム文化への理解が 妨げられたままです。
 また「原術へ」の「解題」などを書き始めてしまったために、「中国のイスラーム建築」が しばらく中断していましたが、他のことが一段落して、やっと再開することになりました。乞う ご期待。



水村美苗

●●● やはり評判の、水村美苗著『日本語が亡びるとき(英語の世紀の中で)』も、正月休みに読みました。実に面白い本でした。
 現在、本や論文を著すのに、20世紀の「普遍語」となってしまった英語で書かなければ、学問たりえない、という指摘は 身にしみます。それを可能にするべく、日本人が英語の学習に費やす時間と労力を考えると、本当に つらいものがあります。英語は、日本語とは あまりにも違う言語なのです。私は 30代でフランス語を学び、翻訳を1冊行いました。 これに対して、10代から現在まで 英語の学習に費やした時間は、おそらくフランス語の 4〜5倍になるでしょうし、翻訳も2冊行いました。それにもかかわらず、今でも、フランスの映画を観れば その台詞(せりふ)の半分ぐらいが理解できるのに、英語の映画では、1〜2割しか わかりません。ネイティヴ英語の発音は、子供のときにネイティヴの間で育って 身につけない限り、日本人には聞き取れないし、正しく発音できないのです。
 日本人に習得しやすい、フランス語や イタリア語や スペイン語でなく、その反対の英語が 世界の「普遍語」になってしまったのは、日本人にとって 大いなる不幸です。

 さて この本の第 6章で、もしも夏目漱石が現代に生きていたら、「漱石のような人物が 日本語で書こうとするであろうか ---- ことに、日本語で文学などを 書こうとするであろうか」という件(くだり )には 笑ってしまいました。「叡智を求める人」は、現代では英語で書かねばならないし、そのテーマは、今なら 小説よりも、地球温暖化問題とか 生物学上の発見とか イスラム世界の動き とかになるのではないか、とさえ 著者は言います。
 ところが、この章まで展開してきた話が、次の第7章で突然、「日本近代文学」擁護論に専心してしまうのには驚きました。英語に なじまない日本人が、英語の世紀に どう対処すべきか という(書かれるべき)一章が スルリと抜け落ちてしまったごとくで、何か、肩すかしを食ったような気分です。
 小中学校での国語教育を 現在の3時間から 4〜5時間に増やし、何よりも 日本近代文学 を教えることが解決策だ というのでは、 第6章まで、普遍語としての英語の必要性を さんざん力説し、とりわけ インターネット時代になって英語の優位は決定的になった という説明と、どう調和するのでしょうか。英語と日本語のバイリンガルになるべきエリートは、学校以外のところで自由に勉強すればよい、というだけでは、「危機的な現状」に 何ら対処していないのではないでしょうか。
 水村氏は、これからの日本の文学者(小説家)は、現地語としての日本語を捨てて、普遍語たる英語で書くべきだ と言いたいのか、あるいは、それは少数の バイリンガルの人にまかせておいて、多数の人は、やはり 今までどおり、滅び行く日本語で書くべきだ と言っているのか、それがわかりません。

 ところで、彼女が高く評価する 日本近代文学の成立の過程と原因の考察は、日本近代建築のそれと比較するときに、実に興味深い観点を提示しています。今の私には、それを やっている余裕がありませんが。
 また 私には、英語で1冊の本を書く能力はありません。したがって、私のインド建築やイスラーム建築の研究は、「日本の学者の大多数は、優れた学者となる資質をもって生まれても、西洋の学問の紹介者 という役割に甘んじ、生涯に一度 海を越え、その著作を研究する西洋人の学者を訪ね、一緒に笑顔で写真を撮ってもらい、握手をして帰ってくるだけで 満足せねばならなかった」(p.256)というのと、同様の話でしか ないのかもしれません。
  それでも、「リュキア建築紀行」は、"Lycian Influence to the Indian Cave Temples" として HPに英訳を載せてあるので、日本の研究者からは一切 反応がなかったけれど、海外からは 時々 メールが来ます。最近では、インド在住のアメリカ人で、長年インドの石窟寺院と彫刻の研究をしてきた カーメル・バークソン女史から、私のサイトを読んで、「チャイティヤ窟の ファサードの形が あのように造られた原因が、初めてわかりました」というメールを もらいました。こうして、本でのみ名前を知る外国の研究者たちと交信できるようになったのは、まさに インターネットと英語のおかげです。    (2009/02/01

謹賀新年 2009

コナーラク

● 新年を迎えて、トップページのデザインを変更しました。今年の トップ写真は コナーラクスーリヤ寺院 です。今から 32年前に 初めてインドに旅行したとき、カルカッタ (コルカタ) から入国しましたが、その日の夜行列車でブバネーシュワルに行ったところ、何かの祝典があるとかで宿がとれず、さらに足を伸ばして コナーラクのトゥーリスト・バンガローに泊りました。このバンガローが新築なったばかりで、まあ清潔な建物であったのは、インドで最初の宿泊地としては幸いでした。そしてすぐ近くの スーリヤ寺院 は まだ それほど観光化されていず、廃墟であるにもかかわらず 実に魅力的で、すっかり心を奪われたものです。
 このコナーラクのスーリヤ寺院に関する本は 多く出版されてきましたが、昨年 新たに興味深い写真集 "KONARKA" が加わりました。というのは、出版社は インドの D・K・プリントワールド社ですが、写真は日本の写真家の沖守弘氏の撮影によるもので、英文テキストは 日本の小西正捷氏と オーストリアのベッティーナ・バウマー女史とが分担執筆しています。日墺印の協働出版というわけです。A4判 138ページで、103点の写真はオールカラーです。アマゾンで注文できますので、関心のある方は ここをクリック してください。   (2009/01/01)


イスラーム建築

●● 『イスラーム建築 』の方は、彰国社が 相変わらず 出版契約も無視して、2年にわたって 出版を拒否しています。 この二つ下の欄をご覧ください。
また、『ジェイムズ・ファーガソンとインドの建築』(風響社の『建築史家たちのアジア発見』)は、原稿を渡してから7年半になりますが、編者であり、私に原稿執筆を依頼した東京大学・生産技術研究所の 村松伸 准教授は、いまだに本を出版しません。詳しくは、ここをクリック してお読みください。
さらに「ヒンドゥ建築」(彰国社の『ヴィジュアル版 建築入門 第2巻』)と、「エローラーの カイラーサ寺院」(同じく『ヴィジュアル版 建築入門 第1巻』)は、依頼された原稿を渡してから8年以上になりますが、やはり彰国社は出版しません。
こうして(私の場合 ばかりでなく)、日本の建築界は マフィアによって 際限なく歪められていきますが、マフィアの報復を恐れて 口をつぐんでいる 建築家や評論家(今の日本には 建築評論家は不在ともいえますが)、大学教授や ジャーナリストたちも、情けない限りです。



●●● ところで 建築(アーキテクチュア)の本というのは、外国の書店では「美術と建築アート・アンド・アーキテクチュア」の売場に並べられます。ところが日本では、世界標準とは異なった、大学(工学部)における エンジニア教育中心の「建設・建築 教育システム」および その学会の構成を反映して、アーキテクチュアの歴史やデザインの本も「建設工学(ビルディング・エンジニアリング)」に分類されてしまい、「理工学書売場」に並べられてしまいます。しかし一般の人は、書店の美術書売場には行きますが、理工学書売場になど 決して行きません。したがって、せっかく一般読書人や美術愛好家にも 興味をもってもらえる建築書が、一般の人の目に触れません。そのために、わが国における一般人の建築的教養が ますます欠けることになります。私が今までに出した本は すべて歴史やデザイン分野なのですが、やはり 理工学書売場に置かれてしまっています。

また、かつては たくさんあった建築雑誌も、廃刊や休刊になって数が少なくなりました。そして、かつての建築雑誌は すべて1ページの「書評欄」をもっていて、新刊書の中から 毎月1冊を選び、外部の建築家や評論家に依頼した「書評」を載せていて、それが 若者たちの読書意欲を そそったものでした(自社の本の、手前味噌な「宣伝書評広告」とは 違います)。それが どんなものであったかを示すために、建築雑誌における 私の本への書評を(今まで 遠慮していましたが)、今回一括して「著書・訳書」の それぞれのページに 載せさせてもらうことにしました。また、建築雑誌以外のものも2つ入れています。それぞれの書評者の名前をクリックすると、そのページに飛びますので、興味のあるところを お読みください。批評の仕方を 読み比べるのも 興味深いでしょう。

『イスラムの建築文化』石山修武『建築文化』 1988年 6月号
『イスラムの建築文化』木島安史『AJAMES』 1988年
『楽園のデザイン』有村桂子『日経アーキテクチュア』 1989年9月4日号
『楽園のデザイン』羽田正『史学雑誌』 1989年 8月号
『楽園のデザイン』松枝到『建築知識』 1989年 10月号
『ヒンドゥ教の建築』黒河内宏昌『 a t 』 1994年 2月号
『インドの建築』黒河内宏昌『 SD 』 1996年 12月号
『インド建築案内』藤森照信『建築文化』 1997年 3月号


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