フリュギアの石窟墓、前8世紀以降、バクシーシュ
この家形墓も三角切妻屋根である。


ずっと後に、『伊東忠太建築文献』(龍吟社刊、1936)第5巻「見学・紀行」を
見ていたら、私の100年近く前に 忠太がここを訪れていることを知った。
巻頭の写真を見ると、1世紀後とほとんど同じ姿で建っていたようである。
ところが 本文「小亜細亜横断旅行談」(p.507)には、
「ここ(バクシーシュ)には巨岩の面を鉛直に削って建築的
彫刻を施したものがある。古代のフリジア時代に属する。」

と書いている。しかし、これはごく小規模で、高さ2メートルほどのものである。
忠太は本当にここを訪れたのであろうか?