角塔型と層塔型の寺院 |
神谷武夫
ヒマーチャル・プラデシュ州は すべて山の中である。下界のインド平原のような乾燥地ではなく、山々は ヒマラヤ杉や樅(もみ)、そして松の緑に覆われているから、木材は豊富に産する。したがって古来、家々は木造で建てられてきた。
こうした独特の混構造が成立したのは 14世紀頃だという説があるが、定かではない。パキスタンや アフガニスタンの北部 にも見られるから、あるいは 西方起源のものであるのかもしれない。
なかでも、3年前に初めて見出した チャイニ村の ヨーギニー寺院は 高さが 30mもあり、村の遠望写真を撮ると、まるで超高層ビルのように聳え立っている。実は、本来は もっと高かった。1905年のカングラ地震で 最上部の2層が崩壊してしまったからである。塔の下部は内部まで石の詰まったドルマイデ構造だが、そこに大きな亀裂が入っているのは、その時のものだろう。
標高 2,000mの山上の チャイニ村(チェニとも発音する)へは、朝の8時にマンディを出発して、車で行けるところから さらに1時間のトレッキング、昼の 12時に 念願の再訪を果たすことができた。ここには 村の広場をへだてて もう1本の角塔が建ち、反対側には5階建てのクリシュナ寺院もあり、伝統を乱す要素は何もない。純朴で親切な村人たちの住むこの村は、まさに現代の 桃源郷 である。
寺院の撮影をしていると、小さな女の子をつれた女性が 声をかけてきた。 3年前に寺院の階段下に 私を立たせて写真を撮ったでしょう、と。 おお、それでは あの時の少女が、今では娘の母となっている ヴィディヤー・デヴィー・タクールなのか。 ヴィディヤー・デヴィーという名前は、知恵の女神 の意である。 そして このチャイニ・コティの集落の住人は、全員が タクールという姓なのだという。 もう 1本の 低いほうの角塔は バンダール(モフラなどを収める宝蔵)として用いられているが、おそらくは こちらが古い天守閣であり、18世紀初めに より高い角塔が建てられてから バンダールとなったのだろう。また、タクール一族の中心住居が、今ではクリシュナ寺院に転用されているのである。
バンダ-ルと、チャイニ村の典型的な民家
こうした角塔型寺院の原型は 民家にあると考えられる。 チャイニ村の民家を見ると、壁面は塗装されているものの 伝統的なカトクニの構造であり、1階は家畜小屋、2階が居住部で、その周囲のバルコニーが廊下であり、物干し場でもあり、雨季の作業場、日向ぼっこをする場所でもある。そして3階の屋根裏に 台所と物置がある。火種を絶やさないためか、竈(かまど)には いつも火がおこされていて、その煙が入母屋の妻部分の窓から排出されるのである。
<参考> ジョージア(グルジア)の塔状住居
去りがたいチャイニ村をあとにして、ジープは一路 ティーリへ。クル渓谷のビアス川沿いの街道から バージャウラーで折れてパラーシャル湖へと向かう道を3分の1ほど行くと ティーリの村である。ここでは約 40分のトレッキング。前回来たのは夕方で、トレッキングの間にとっぷり日が暮れてしまい、寺院に着いた時には真っ暗になってしまった無念の地である。 今回は十分明るいうちに たどり着き、ここも山頂なので、午後遅い 水平に近い光の中で 写真を撮ることができた。
この ティーリのアーディ・プルカ寺院は、前記の角塔型に対して、日本の五重塔や ネパールの塔に似た 層塔型の寺院である。矩形プランの三重塔であるが、層塔型の頂部の屋根は 通常、円錐形をしている(その理由は明らかでない)。
ティーリの寺院は、近年修復された時に 木部が塗装されてしまったが、頂部の円錐屋根は 昔ながらに木の板で葺かれている。かつては すべてが木であったが、今では 下の2層はスレート葺きである。珍しいのは 堂の手前に一段低く、回廊で囲まれた前庭を付していることで、これが半外部のエントランス・ホールになっている。
(『建築東京』2003年1月号)
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