PLAYING in INDIAN ARCHITECTURE
インド建築における遊び
神谷武夫
ルダ階段井戸

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彫刻による遊び

 建築家がふだん設計をしている時に「この部分は遊びだ」と言つたりすることがある。それは建物の実用性を離れて、あるいは実用的なものであっても その必要の範囲を越えて、その部分を見た時に ちよっと心楽しくなるような造形や仕掛けをした場合の言い方である。
 けれど改めて「建築における遊び」とは何か、と考えてみると、これぞ 遊びだ というもの はあまり思い浮かばない。建築というのは必要に発して企画されるものであり、建築家というのも真面目な人種だから、限られた予算の中でいかに使いやすく快適な建物を実現できるか ということに日夜没頭しているわけなので、遊びそのものが目的とされた建物(遊園地やゲーム室など)でなければ、人さまの金であまり遊んだりしないものなのである。
 果たしてそれは古い時代においてもそうだったのかどうかを、ここでは インドの石造建築を中心にたずねてみたいと思う。

パールシュヴァナータ寺院の壁面彫刻、カジュラーホ

 インドの建築と聞くと、人は無数の彫刻で飾られたヒンドウ寺院をまず思い浮かべ、インド建築は さぞかし遊びに満ちているだろう と考えるかもしれない。しかし そうした彫刻は、神像を始めとして 宗教の内容を伝えるものが多く、例の男女交合図(ミトゥナ像)でさえも タントリズム教義の表現である。それらはキリスト教の教会堂の彫刻と同じように 実用的機能を担っているわけで、純粋な遊びというものではない。
 時には教義と無関係な像があって、彫刻師の遊び心を伝えるものもある。上図はその代表で、カジュラーホにあるジャイナ教寺院の壁面彫刻だが、ここでは 女がしなを作りながら、アイシャドーのような化粧をしている。

 もっとはっきりと遊びを見せているのは、ブバネーシュワルのヒンドウ寺院、ムクテーシュワラ寺院 の壁面彫刻である。
 この正方形のパネル彫刻の下半分を 手で隠してみてほしい。すると 女が一人横たわっているのが見られよう。次に右半分を隠してみると、この女が片膝ついて立ち上っている姿が表われる。さらに左半分を隠すと 別の女が逆立ちをしているのが見え、最後に上半分を隠せば 彼女はもんどり打つて ひっくり返るのである。
 これは建物の実用性とは何の関係もない 全くの遊びであって M.C. エツシャーや 福田繁夫の仕事を連想させもするだろう。

ムクテーシュワラ寺院の壁面彫刻 10世紀 ブバネーシュワル

 けれど、以上の例が「建築における遊び」かと言えば、どうも そうとは思えない。どちらの寺院も 建築としては正統的で筋の通った名品であって、さして遊んではいない。つまり先ほどの遊びは あくまでも「彫刻の遊び」であるに過ぎないのである。
 建物に取り付けられた彫刻で遊ぶというのは、洋の東西を問わず、古い建物に しばしば見られるところだろう。では、建築そのもので遊ぶとなれば、どういったものが ありうるのだろうか。


さまざまな技法

 アーグラ近くの廃都、ファテプル・シークリーの大モスク境内には、聖者 サリーム・チシュティーの廟がある。このイスラーム建築の壁面は、白大理石と黒っぽい石とで ひとつのパターンが構成されているのが見られよう。
 ところがこの建物の内部に入って壁面を見返してみると、黒っぽい石と見えたのは実は同じ白大理石のスクリーンであることがわかる。外からは内部が見えずに一枚の黒っぽい石としか見えないものが、内部からは 外が見通せる マジック石壁というわけである。

  
サリーム・チシュティー廟の壁面、ファテプル・シークリー

 これほど繊細に石を削ってしまったのでは、すぐにも壊れてしまいそうにも見えようが、実際は厚さが 5〜10cmの大理石の板に 一定のパターンで穴をあけてあるので、人が蹴とばしたくらいでは ビクともしない。
 これは遊びだろうか。 やはりそうではない。インドのように暑く、しかも雨季には毎日雨の降る所では、石造建築といえども板庇を出し(これ自体、我々日本人には驚異的だが)できる限り 風通しを良くしなければならない。風を抜いて、しかも 人の侵入を妨げるという実用のための、これはインド古来の技法であって、ムガル建築にも しばしば見られるものである。

 では次の フマユーン廟 はどうだろう。首都デリーに残るムガル皇帝の この巨大な廟は、至る所が赤砂岩と白大理石の 寄木細工で覆われている。ビザンチンのモザイクにも比すべき こうした手のこんだ象嵌細工による石造建築は、インドのムガル建築において 最も発達した技法である。
 近年の日本では石貼り建築が増えてはきたが、こうした手のかかる石の仕上げは まだ現われるに至っていないようである。けれど これもまた建築の仕上げの技法とは言えても、遊び と呼ぶわけにはいかないだろう。

   
フマユーン廟と ジャンタル・マンタル、デリー

 仕上げによってではなく、形そのものによる遊びはどうか と思いめぐらすと、ジャンタル・マンタル(天文観測所)の建造物群が浮かびあがる。ジャイプルやデリー その他に残る これら特異な造形は、ドイツ表現派も影が薄くなるほどに奔放である。ところが これらもまた遊びではなく 実用的造形なのである。
 18世紀前半のヒンドゥの英明な藩王 ジャイ・シング2世は 科学へのあくなき探究心と情熱を持ち、各地に巨大な天文観測所を建設させたのだった。当時の科学の粋を集めて 最も機能的、合理的な形を求めた結果が、こうした驚くべき建築造形となって結実したのである。ここにはヒンドウ建築の伝統もイスラーム建築のディテールも用いられていないのが興味深いが、しかし これは 遊びではなかったのだろう。


ロマネスク建築における遊び

 こうして見てくると、建築そのものにおける遊びの実例というのは、見出すのが ひどくむずかしい。では、世界中にそうしたものは見出せないのかというと、実は中世ヨーロッパ、あの宗教的統制の厳しかった時代に、遊びの精神が、彫刻ばかりでなく 建築にも浸透していたことに気づくのである。
 北スペインの名高いロマネスクの修道院、サント・ドミンゴ・デ・シロスには、回廊で囲まれた 美しい中庭(クロイスター)がある。その回廊の 他の柱は すべて垂直に立てているのに、この束ね柱だけは 柱の上部の位置と下部の位置を うっかり間違えてしまい、4本の円柱が どれも傾いて 捩れてしまった、という まことに人をくった細工をしている。
 実際には この束ね柱は 単岩で刻まれているので、柱が捩れているのでも何でもなく、十分に鉛直荷重を支えることができるのであって、これは実用とは関係ないどころか、視覚的に人をだまして楽しもうとする、全くの「おふざけ」、あるいは ユーモア精神の発露なのである。

  
サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の回廊

 こうした「おふざけ」が、謹厳たるべき修道院建築で行われているのも驚きだが、ヨーロッパのロマネスク建築を注意して見て歩くと、こうしたことは 諸所で行われていたことに 気づかれるだろう。ある柱は 飴のようにクネクネと曲がってしまい、またある柱は 屋根の荷重を支えきれずに座屈をおこしてしまった、かのような姿をしている。
 彫刻などによる装飾を 建築における二次要素とするなら、柱や梁といった 建築の一次的要素において「遊んで」いるのは、ロマネスク建築をもって嘴矢(こうし)とするだろう。

 インドにおいては、彫刻で遊んでいる建物は いくらでもあるが、建築の一次的要素で「おふざけ」をしている例は 寡聞(かぶん)にして まだ知らない。
 けれども こうした見方は、建築における「遊び」を 狭く捉えすぎているだろうか。ひとくちに彫刻といっても、建物から独立的に壁面に取り付けられたものと、建築の一次的要素と分かちがたく彫刻されたものとでは 自ずから違いがあり、後者において 実用と関係なく 目を楽しませるために施されたものであるのなら、それもまた「建築の遊び」と呼べるかもしれない。

  
サンプラティ・ラージャ寺院の窓スクリーン、ギルナール山


インド建築の快楽

 そう考えるなら、インド建築における遊びの実例は、にわかに多く思い浮かぶ。その典型はアーブ山のふところにあるジャイナ教のデルワーラ寺院群であり、ラーナクプルの山奥に忽然と聳えるアーディナータ寺院である。
 ヴィマラ・ヴァサヒー寺院 はアーブ山に ソランキー朝の大臣が寄進した寺院であるが、柱といわず梁といわず天井といわず、およそ床以外のあらゆる部分が 繊細無比の彫刻を施された白大理石から成っている。ラーナクプルの アーディナータ寺院 には こうした柱が約 400本立っていて、その彫刻パターンは 1本として同じものが無い。それを窓に応用したのが ギルナール山のサンプラティ・ラージャ寺院であって、ここでは 窓のスクリーンを すべて異なったパターンにして「遊んで」いる。さらにアーブ山の ドーム天井 の彫刻の密度たるや想像を絶するものがあるが、伝説によると、彫刻師たちは 彫刻した大理石の削りかすと同じ重さの金が支払われたので、繊細に輪をかけて細かく彫り進んだのだという。

  
アーブ山のドーム天井と、ヴィッタラ寺院の柱

 このような建築要素が とりわけ目覚しいのは、南インドの最後のヒンドゥ王朝、ヴィジャヤナガラの建築である。この ヴィッタラ寺院 のように、一本一本の柱が かくも複雑に果てしなく彫刻された建物は、世界広しといえども インド以外には見ることがない。
 こうした 宗教的情熱と芸術的意欲とが 渾然一体となって極端化してしまった世界は、遊びの精神を越えて デカダンスに陥っている。(ついでながら、上の写真の手前下部に見える2本の石の小円柱が黒ずんでいるのがわかるが、これは人が手で叩くと まるで楽器のように美しい音色を響かせるためで、あちこちの音の高さの違う柱を叩いて音楽を演奏するバラモンもいる。)

 しかしながら 寺院や宮殿というのは 華やかに飾り立てられるのが当り前であって、それは遊びではない と言うなら、もっと驚くべき実例がある。 西インドのグジャラート州に多く見られる 階段式の井戸がそれである。
 これは 本来実用的施設以外の何ものでもないのに、井戸底まで下りて行ける階段が、豪華絢爛に彫刻された石造の柱と梁でつくられているのである。これは 何も王侯貴族のための井戸ではない。写真はアフマダーバードからバスで1時間ほど行ったところの 小さなアダーラジ村の井戸であって、村人は暑いさかりに この階段の踊り場で涼むことができる。地上にはただ入口が見えるだけで、すべては地面の下に作られた地下建築であり、空から降り注ぐ光に浮かび上る架構のパースペクティブは、まことに幻想的である。
 庶民のための 土木的実用建物が、単なる実用を超えて、素晴らしく魅力的な空間と装飾をえた例として、これは ペルシャのザーヤンデルード川に架かる ハージュ橋と双璧をなすものだろう。

   
アダーラジの階段井戸と、イスファハーンのハージュ橋

 さらに驚くべき例としては、ひとつの町全体が 石の彫刻で覆われたところが インドのタール砂漠の中にあるがジャイサルメル、既に紙数も尽きた。 その町の紹介はまた稿を改めて書くことにしよう。

(「ストーンテリア」第 5号 1986年3月)



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